−−−人は誰しも、外見的・内面的に多種多様の個性を持っており、また、他者の個性を認めながら生きている。
だからこそ、人は自分が自分であることを自覚し、他者が他者であることを認識するのだ。
そして、その違いを認め合い、尊重することができるからこそ、人間という生き物は素晴らしい。

…しかし、個性とは必ずしも、誰しもが相容れ、許容できるものだけではない。
自分では良かれと思っているものが、他人には認められないという事象は、
個性というものが人に備わっている以上、避けては通れない問題である。

人という生き物は何であれ、自身が受け入れられることについては容認し、擁護するやさしさを持っているが、
逆に自身が受け入れられない、相容れないものについては、
1対複数で徒党を組んで徹底的に排斥し、それを圧殺する残酷さも同時に併せ持っている。


その広義かつ、典型的な例が、子どもの頃に学校などで、被害者、加害者、
はたまた傍観者のうちどれかを体験したであろう、『いじめ』である。
『いじめ』に、明確かつ筋の通った理由はない。ただ、『ムカついた』、『いじめやすそうだった』などと、
どれも幼稚かつ、大雑把なものがほとんどだ。だが、それゆえに言葉による防止も抑止も難しく、
ちょっとした出来心や、この国特有の団体意識から、簡単に飛び火する性質があり、
民主主義や男女平等を謳う現代でも、これに悩まされる少年少女は後を絶たない。

そんな状況を芳しくなく思い、改善しようと試みる生徒や教師もいただろう。
しかし前者は、いたずらに手を出して加害者の怒りを買い、自分もいじめの対象になることを恐れ、
後者は加害者本人、というよりもその保護者からの反感を恐れ、あえて放置(もしくは助長を促したり)ということもあり、
助け舟が出る可能性はほとんどない。…つまりは泣き寝入りだ。

弱者に平穏はないのだろうか。弱者には一筋の光明すら与えられないのだろうか−−−


「…んだよ、その金髪!」
「いーけないんだぁ、いけないんだぁ。髪なんて染めちゃってさ〜、ふりょう〜、ふ・りょ・お〜!」
「ち、違うよ!これは地毛だし、ちゃんと先生にも許可もらってるもん!不良じゃない!」
「そんなの屁理屈だ!なんでお前はよくて、俺たちはいけないんだよ!ひきょうだ、ひきょうだぞ!」
「そんな…、ぼくに、ぼくに言われたって…。」

 ぼくの名前はカロン。とある事情でこの町の小学校に転校してきた。ぼくはこの国の生まれではなく、
(本当は国どころか、星そのものが違うのだが、ここではあえて深く語らないことにしておく。)
髪の色もこの国では珍しい金髪で、それを妬んだり、
モラルが欠けていると批判する子たちの間で、ぼくは格好のいじめの対象になった。
…ぼくのような目に逢う子たちは他にもたくさんいたが、ぼくに彼らのことを気にかけている余裕はなかった。
ぼくはただ、毎日毎日自分の身を守るだけで精一杯だったから。
不用意に相手を刺激して厄介ごとを増やしたくなかったから。

「みんな、こいつをおさえてろ。俺がこいつで金髪を黒く染めてやるぜっ!」
「よぉーし!やってやるぞー!」
「や、やめて、やめてよ…っ。ぐ、うっ…!」
 ぼくは二人の男の子に両の腕をつかまれて動けなくなった。
目の前には、本当に黒く染まるのかどうか怪しいスプレー缶を持ったリーダー格の男の子が、嫌な笑みを浮かべて立っている。
この髪の色でいざこざが起きることは今までも何度かあり、耐性がついていたつもりだったけれども、
ここまで強硬な手段に出られたの初めてだったので、ぼくは激しく抵抗し必死にその行為から逃れようとした。
しかし、ぼくの腕をつかむ二人はいくら抵抗しても離してはくれない。
不気味な笑い顔とともに、彼の手にあるスプレー缶の噴射口がぼくの髪の前に差し掛かる。

「へへへ…、ざ、くっ!?」
「ぐ、ふっ!?」
「げる、ぐ、ぐ…っ!」

「…!?な、何だ!?なんだ!?あぁ、っ…。」

…その時だった。ごぉん、という鈍い音と共に、ぼくにスプレー缶を向けていた男の子は、
首を真横に向けながらその場に倒れこみ、白目を向いて気絶した。
あまりにも突然のことに、ぼくは、いや、その取り巻き連中ですらも混乱し、必死に状況を把握しようと努めた。
しかし、ぼくが、ぼくらの間に何が起きたのか、誰一人として気付く前に、
ぼくの腕をつかんでいた二人の男の子は、何かにのされ、床の上に倒れこんでいたのだ。

ぼくの体を押さえ込む二人が倒れたことで、ワンテンポ遅れてバランスを崩し、ぼくはその場に尻餅をついた。
そしてそれと同時に、ぼくの目の前に一人の女の子がいることに気が付いた。

(中の下着の線がくっきり写るほど)真っ白な半袖Tシャツに、灰色のホットパンツと、
格好だけ見れば男の子に見えそうな服装の合わせ方だったが、
長く艶やかな亜麻色の髪に、端正で愛らしいな顔立ちから、目の前にいる人物が女の子であることをぼくに教えてくれた。
彼女はこちらを見てにこりと笑うと、何が何だか、状況を把握できないぼくの目の前に、そっと手を差し出した。
「大丈夫?手、貸してあげよっか?」
「………は、はい。」
 ぼくはとまどいながらもその手をつかみ、腕に力をこめてぐぐっと起き上がる。
手の感触はいかにも女の子らしく、薄い肌色で柔らかく、すべすべとした感触だった。
そして何より印象的だったのは、瑠璃色に輝くその瞳。ぼくはその綺麗な瞳に吸い込まれ、ただ呆けてしまった。
彼女はぼくのそんな様相を見て安心したのか、胸の前で手を合わせ、穏やかな口調でこう言った。
「…うん、平気みたいだね。よかった、よかった。」
「は、はい。あ、あのぅ、助けてくれて、その…。」
 かわいいうえに、透き通るように綺麗な彼女の声に、ぼくは少しどきっとし、言葉に詰まる。
彼女はどもるぼくの口の前に人差し指をちょんとかざすとこう言った。
「お礼なんて、いらないよ。わたしは自分のしたいことをしただけ、だから。
…っと。そろそろ授業が始まっちゃう。じゃあね。」
 彼女はそれだけ言うと、身を翻して、早足で去っていった。ぼくはそれをただぼぉっと見つめて見送る。
彼女のことをもっと知りたい、彼女と一緒にいたい、そう思い始めるのに、たいして時間はかからなかった。
それが彼女、桜田 瞳璃(さくらだ どうり)とぼく・カロンとの、はじめての出会いだった。




小説・セイギ ノ ミカタ


「…弟子に、弟子にしてくださいッ!」 「…は、ぁ!?」  5年B組、桜田道璃。弱いものいじめをする子を男女関係なしに倒して回る、美しい瑠璃色の瞳の女の子。 ぼくはその日のお昼休み、給食を半ば押し込むようにしてたいらげると、 クラスの近しい人に彼女の名前と教室を聞いて、彼女のクラスへと足を運んだ。 ”きれいな瑠璃色の瞳”なんて小難しく分かりにくいキーワードを出すまでもなく、 『”いじめっ子を倒して回っている女の子”を知らない?』と、クラスの中のそこそこ近しい子に問うだけで、 名前もクラスも一発で分かった。どうやら知名度のほうも相当のものらしい。  もちろん、弟子にしてくれ、というのは、彼女のそばにいたいがためにでっち上げた口実だ。 先ほどまでいじめられていたぼくに、真正面からいじめっ子たちに立ち向かう勇気などあるわけもないし、 第一、ぼくが弟子になって彼女の補佐をしたとところで、何の役にも立たないことは、誰の目から見ても明らかだろう。  彼女は誰とも席をつけず、一人で給食の揚げパンをもぐもぐと、よく咀嚼して食べていた。 助けた子からそんなことを言われること事態予想外だったのか、 彼女はぼくの言葉に一瞬驚いて素っ頓狂な声を上げたが、すぐに我に返ってたたずまいを直すと、ぼくの返答に答えた。 「…ちょ、ちょっとびっくり。でも大丈夫だよー。わざわざきみが強くならなくたって、わたしがいるもの。まかせてっ。」 「あ…でも、ぼく、その…感動したんです!あんなに強くて、かっこよくて、かわいくて…だから、だから…。」  ぼくは少ない語彙力で、自分の気持ちを彼女に伝えようと思ったが、ぼくの心情を知ってか知らずか、 少しイタズラっぽく笑うと、ぼくのおでこに人差し指を突きつけて、軽くぐりぐりと押しながらこう言った。 「…それともなぁに?女の子一人でいじめっ子に向かっていくのが心配だ、とでも言いたいのかな? 心配しないで。わたしはそんなにやわじゃないよ。ぜんぜん平気。へーき、へーき。」 「でも、その、ぼくは…。」  ぼくの煮え切らない態度を不機嫌そうな顔で眺めていた彼女は、何か少し考えると、 お盆に残った揚げパンの欠片を、ぽんと口の中にほおりこんで、適当に噛んだあと、 三角パックの牛乳を飲んでそれを流し込み、指についた揚げパンのパウダーをぺろぺろと舐めとったあと、 給食の食器やお盆をワゴンの方に返して自分の席の前に戻ると、ぼくの顔を真正面から見据えて、真面目な顔で答えた。 「むぅ。強情っていうか、煮え切らないっていうか…。あぁ、もう。しょうがないなぁ。じゃあさ、ついて来てよ。」 「…はい?何を、ですか?」 「確かめたいんでしょ?わたしに弟子そんなものだの仲間だのが必要かどうか。…わたしには必要ないってこと、教えてあげるから。」 「え!?え、あ、あ、ああ!」  そう言うと、彼女はぼくの手をつかみ、強引に引っ張って、どこかへと連れ出した。 彼女に手を引かれるがままに校舎の中を駆け抜け、気がつくと、ぼくは屋上へとつながる扉の前に立っていた。 上がった息を深呼吸で落ち着かせたあと、ぼくは、なぜ彼女がこんなところにやってきたのかを聞いた。 「ひぃ、ひぃ、ふぅ…。どうしてこんなところに…。」 「わたしに弟子とか、部下とか、取り巻きとか、そういうものが必要ないことを見せてあげるよ。 おあつらえむきに、ちょうど呼び出し・・・・もかかってたしね。」 「よ、呼び出し…、それっていったいどういう……………、いっ、いぃぃいっ!?」  彼女はぼくの問いに曖昧に答えると、扉のドアノブに手をかけて、ゆっくりと扉を開いた。 外のまぶしさに目が眩み、ぼくは一瞬目を背けた。まぶしさに目が慣れ、再び目を開けたとき、 ぼくの目の前に写ったのは、4、5人ほどの屈強で、ガラの悪そうな男の子たちの集まりだった。 彼らの放つどす黒い剣幕に、ぼくは走り疲れて息を切らしているのも忘れ、その場にしゃがみこんでしまった。 場所は屋上。ひとつしかない逃げ道も、ぼくがしゃがみこんでいる間に彼らの仲間のうちの一人に押さえられ、 どうやら逃げることもできそうにない。  ぼくたちの姿を確認し、出入口を押さえたことを確認すると、 集まりの中央にいた男の子が、ぼくたちを、いや、桜田瞳璃を炯炯(けいけい)とした目つきで見据え、 不敵な笑みを漏らしながら口を開いた。おそらく、彼がこの集まりのリーダー格、なのだろう。 「逃げずに来てもらえて感謝するよ。普通のやつならビビって逃げちゃうところなんだろうけど、 さすがに自称正義の味方様は違うときた。」 「…あなた、6年B組の増山君、だったっけ? 意外ね、優等生さんだって思ってたから、こんなことをするとは思ってなかった。 それに、わたしは別に正義の味方、なんて名乗ったつもりはないけど。助けた子たちがそう言ってくれるだけ。」 「あっそ、まぁ、いいけどねー。…困るんだよなぁ、ストレス解消の邪魔してもらっちゃあさ。 優等生でいるってのはさ、意外とストレスがたまるもんなんだぜ? 言うことを聞きたくもない先生の言うことに、いちいちこびへつらったり、 したくもないことを喜んでするフリしなきゃなんないし。 はけ口が必要なんだよ、特に、そういう優等生さん、ってやつはさ。 それをヒーロー面して俺たちから奪っていきやがって。何様のつもりなんだよ、お前。」 「…何様?そんなの、あなたたちに言われることじゃあないし、 あなたたちのように、弱いものいじめをして楽しんでいるような人が言っていい言葉じゃないわ。」  増山は彼女に心底気に入らない、とでも言うような目つきを向け、ちっ、と舌打ちをした。 彼女の、桜田さんの態度がよほど気に障ったのだろうか。 「…あぁそう。ま、いいけど。とにかく、もう、俺たちの邪魔をするのはやめてもらうぜ。 お前みたいなのが同じ学校にいられると、目障りで目障りで、どうしようもないんだ。」 「きゃ・っ・か。」 「…あぁ、そう。いちいちムカつく奴だな。…まぁ、いいけど? だったら、力づくでお願いするだけ、だしな!なあ、みんな?」  増山は後ろを振り返り、取り巻きの連中に目配せをした。 取り巻き連中は待ってましたとばかりに、右手に左こぶしを打ちつけたり、 どこから持ってきたのか分からないモップや木製のバット、柄の長い竹ぼうきを持ちだして、 今すぐにでも戦えると言わんばかりに、手持ちの武器を構え、ぼくたちの周りを取り囲んだ。 ぼくはいますぐにでもこの場を離れたいと思ったが、出入り口は封鎖されているし、 なにより怖くて、足がすくんで動けない。…さっきの時間、先にトイレに言って用を足していて、本当によかった。  だが、彼女はそれでも、さきほどまで増山に向けていた不敵な笑みを崩すことなく、 彼を見下しているのか、軽蔑しているのか、そんな風な目つきで、増山の顔だけを見つめ、こう言った。 「…いいのカナ?わたしにそんなことべらべら話しちゃって。 君のやってること、君の友達やお父さんやお母さん、先生にだってばらしちゃう…かも、ヨ?」 「…は、ァ!?お前、この数を見て言ってんのか!?馬鹿じゃねぇの!? …その減らず口ッ!二度と聞けねぇようにしてやんよ!…やっちまえ!!」  増山が右手をばっ、と空に掲げた瞬間、ぼくたちを取り囲んだ集団は、一斉に桜田さんに飛び掛った。 ぼくはその先のことを想像して恐怖し、思わず目をつぶって手で覆い隠し、現実から背けてしまった。  目をつぶれども、音はぼくの両耳を介して伝わってくる。 人を殴ったときに発せられる、あの陰鬱とした打撃音。もんどりうって倒れこむ音、 そして痛みと恐怖の入り混じったおどろおどろしい悲鳴。そのどれもが、目を介さずとも、 恐怖の映像として、脳の中に伝わってくる。 …しかし、何かがおかしい。聞こえてくる打撃音は、鈍く重いものなんかではなく、 しゅっ、しゅっ、とでも言うような、素早く、風を切るような鋭さを帯びていたし、 倒れこむ音はひとつ、ふたつ、いや、それ以上もあった。 そして何より、聞こえてくる悲鳴が皆、若干太い、男の子のものだったからだ。 ぼくは意を決して目を覆う手を引き剥がし、ゆっくりとまぶたを開いて現実を見据えた。  ぼくの眼に映った光景は、桜田さんが連中に襲われ、泣き叫んでいる場面どころか、 主犯格の増山を、その桜田さんが彼の襟首をつかんで床にたたきつけ、押さえ込んでいる場面であった。 彼女に襲い掛かった取り巻き連中は、うめき声すら発することもできず、 ぼくの周りで意識を失って、うつぶせや仰向けになって横たわっていた。  ぼくは恐怖のあまり頭がおかしくなったのかと一瞬困惑したが、ほっぺたをつまみ、 ついでに右の鼻の穴の中に人差指と親指をつっこみ、鼻毛を二、三本抜いてみて、その痛みがちゃんとあることから、 今自分の目の前で起こっている場面が現実であることを自覚した。  床に押さえつけられている主犯格の増山は、予想外の事態と彼女の圧倒的な強さを目の当たりにして、 混乱と恐怖に苛まれているらしく、目から涙があふれ出ているのはもちろん、不恰好にも鼻水を垂らし、 別に寒くもなんともないのにがたがたと震えており、先ほどまでのあの炯炯としていた目つきや態度は見る影もなかった。 「な、なななな、な…なんなんだよ、ありえねぇ、ありえねぇよ……!!」 「ところがー、これが現実なのです。すごいっしょ。」 「まっ、ままま、待ってくれよ!わ、わわわ、分かった、分かったってば! もう弱い者いじめなんてしない!ごめん、ごめんよォ!!」 「ふっ、う〜ん。さんざんいろんな子たちを蔭からいじめておいて、『ごめん』の一言で済まそう、っていうんだ。」 「し、しない!絶対にしないから!信じて、信じてくれよぉ!」  増山は涙をさめざめと流し、無様にも鼻水をでろでろと垂らして彼女に助けを請うた。 しかし彼女は彼のほおを両手でつかむと、 「自分勝手だよねー。君って。君にいじめられてた子たちだって言ってたんじゃないの? 自分が悪くなんてないのに、ごめんなさい、ごめんなさいって。許して、許してって。 その言葉に君は耳をかたむけてあげたのカナ?応じてあげたのカナ?し て な い、よ ね。」 「ひっ、あっ、あああああああああ!!!」  桜田さんは増山のほおから右手を離し、握りこぶしを作って彼の目の前で構えた。 増山は即座に危険を察知し、その場から逃れようとするが、それよりも一瞬早く、 桜田さんは残っていた左手で彼の顔をがっちりと固め、逃げられないようにしていた。 増山は先ほど以上に涙と鼻水を垂らして許しを請い、そして、 右目と左目の間に、少なくとも一月は消えない傷と、強烈な痛みが彼を襲った。
「…あ〜、風が気持ちいいね、カロンくん。」 「え、ぇぇ…。た、確かに風は、気持ちいい、ですけど…。」 「なぁに?」 「あ、いや。なんでもないです…。」  時計の針が1時を越し、昼休みも終わりかけたころ、ぼくたちは屋上に仰向けに寝そべっていた。 ときどき顔をくすぐるそよ風が気持ちよかったが、周りで意識を失っている子たちを見ていると、 そういう気持ちまで冷めてしまい、言い方は悪いのは分かっているけど、せっかくの気分が台無しで少々残念に思う。 この状況を見て感じたことを踏まえ、ぼくは彼女にある質問を投げかけた。 「…あの。確かにこの子たちがやったことは悪いことだったと思います。 けど、ここまでやる必要は…、あったんでしょうか。」  彼女、桜田瞳璃のいじめっ子の制裁のうわさは、実際にそれを受けた子どころか、 その場面を見たことのない子にすら、(湾曲して伝わっている可能性もあるが)知られているほど、相当なものだった。 彼女は弱者をいたぶるいじめっ子に対し、寸分の容赦も慈悲もなく、圧倒的に叩きのめして、 自身の恐ろしさをいじめっ子たちに知らしめていたからだ。  その恐ろしさたるや、彼女の拳や蹴りを受けたいじめっ子は、その痛みはもとより、 腕を負傷すれば、しばらくの間力が入らず、足を負傷すれば、痛みが引くまで立ち上がることすらできなかったり、 女の子の腕から発せられるものとは思えないほどの力で、両腕をぞうきん絞りをするかのように、 ぎりぎりと締め付けて、ひと月は消えないほどのあざを残したりと、やることなすことが無茶苦茶なのだそうだ。 しかし、彼女は普通のいじめっ子たちが、先生からの追及を逃れるために狙う、 傷の隠れる服の下などを狙うことは一度もなかった。 彼女が狙う箇所は足、腕、顔など、隠そうとしても隠せないような場所、ばかりだった。 顔はもとより、足や手は、衣服で傷やあざを隠しても、その痛みと動作で、負傷していることがわかるから、だろう。 「…んー?何、やぶから棒に。まぁ、そう来るとは思ってたけど。 じゃあさ、わたしから君にひとつ質問、してもいいかな?」 「えっ?ぼくに、ですか?」 「そ。…あのさ、どこかにいじめられている子がいたとするじゃない。 それで、その子が中途半端にいじめっ子に刃向かったとして、それで、その子に対するいじめはなくなると思う?」 「………そ、それは。」  …この学校に転校したての頃、ぼくと同様にいじめられている子の中で、 このままではだめだと一念発起し、ひとり、果敢にもいじめっ子に刃向った子がいたのを思い出していた。 しかし、今まで虐げられ続けていた弱者が、現在進行形でいじめを行っている強者に敵うはずもなく、 一矢報いることはおろか、なんら有効な手立てを見つけることも出来ぬまま、あっさりと敗れてしまったのだ。 結果、その子は今まで以上に陰険で陰湿で酷いいじめを受け続け、今では登校拒否児になっているらしい。 そんな事実を目撃している以上、ぼくに彼女の言っていることを否定する術などなく、 ぼくはただただ言葉を詰まらせ、彼女の顔色をうかがっていた。 「無言、ってことは…なくならない、って答えでいいわけ、だよね。 …そういうこと。やるからには、中途半端じゃだめ、なんだよ。 いじめっ子たちを倒す力も度胸もないのに向かって行っても、いたずらに相手の怒りを買って、 いじめの勢いを助長させるだけだもの。」 「じょ…、ちょう?って、どういう意味、ですか?」 「あ。あー…、ははは。小難しく言ってもわからないか。んーと、ねー。 たとえば、ほら。台所の周りをかさかさと駆け回るゴキブリに対して、 遠くからしゅーっとひと吹き、殺虫剤を吹きかけたって、ゴキブリは死なないし、 それどころか殺虫剤を嫌がって、さらに機敏に動きまわって吹きかけた側が困っちゃう…ってこと、あるでしょ? ちゃんと駆除するんなら、至近距離で長い時間、殺虫剤をしゅーって吹きかけなくちゃ。 …って、わかりにくいかな?このたとえも。」 「いえ、よくわかった、よくわかったんですけど…、女の子の桜田さんがする話じゃないですよ、それ。」 「あは、はは、は…。ゴメン。」  女の子がゴキブリを例えに使うのはどうかと思ったが、確かに彼女の言い分はわかりやすく、的を得ていたように思う。 現に、彼女に叩きのめされた後で、再び自身のいじめていた子を狙うことは一度もなかったわけだし。 彼女はさらに続ける。 「それと、もうひとつ。わたしはね、やっつけた相手に『恐怖』を植え付けることを第一に考えているから、かな。」 「きょうふ…、ですか?」 「そ。徹底的にいじめっ子を叩きのめして、『桜田瞳璃には勝てない、敵わない』っていじめっ子たちに自覚させるの。 そのあとで、わたしが『またこんなことをしてみなさい!もっともっと痛い目に遭わせてあげる』って言えば、 みんな怖がって、いじめなんてすぱっとやめるわ。」 「でも、それだと。桜田さんは…。」 「…ふふん、なるほど。君の言いたいことはわかるよ。 いじめっ子たちから見ればきっとわたしは、自分たちの遊びを邪魔する暴力女だと思われているんでしょうね。 でも、でもね。いじめられている子たち側からのわたしは、『正義のヒーロー』として映っているのよ。 …自分で言ってて何だけど、ふさわしい言葉を探すと自然にそうなっちゃうだけで。ははっ。」 「………。」 「自分を虐げるいじめっ子を徹底的に叩きのめせば、それまでいじめられていた子は、 わたしの力を認めて、頼ってくれるようになる。…君も知ってるかもしれないけど、 いじめってのは、目に見えるもの、体に受ける直接的な傷だけが全てじゃないのよ。 机やイスへの落書きや物隠し、よってたかっての言葉の暴力だって立派ないじめ。 しかも厄介なことに、そういう間接的ないじめは、やられた子が仕返しを恐れて、黙ったままにすることが多いの。」 「そこで、わたしの出番、ってわけ。わたしがいじめっ子たちをめちゃめちゃに叩きのめして、 わたしがそんなやつらよりも強くて、頼れることをいじめられっ子たちみんなに伝えるの。 そうすれば、仕返しを恐れずにわたしを頼って、いじめの告げ口をしてくれる。 わたしはその子たちの親が怖くて尻込みしたり、やったとしても、右耳から左耳で聞き流しちゃうような、 全然心に届かないお説教もしないしね。」 「そのウワサを聞いた子が別の子にそれを話し、さらにたくさんの悩みや告げ口がわたしの元に舞い込んでくる。 それをわたしが解決する。…それが続けば、いじめは自然となくなるわ。」 「なる、ほど…。」  彼女の考えは少々短絡的なように思えた。いじめっ子たちに恐怖を植え付け、叩きのめすことで支持を集め、 その裏に潜む暗く、目立たないいじめすら排斥しようという考えは素晴らしいと思ったが、 それがうまくいくかどうかは別問題。言葉の上でのきれいごとにすぎない、ともとれた。 しかし、それ以上に、彼女のこの方式には、ひとつ、きわめて大きな問題があることに気がついた。 「…でも、それじゃあ、桜田さんが…。」 「ん?なーに?そんなに不安げな顔して。まだ何かいじめがあるんだったら、桜田のおねーさんに話してごらん。 悩みもいじめもすぱっと解決しちゃうから。…パンチとキックと、そこそこの頭脳で。」 「…………い、いえっ、何、も。…それと桜田さん、おねーさんって、ぼくたち、同い歳のはず、ですけど。」 「あれー、そうだっけ?」  ぼくは彼女に『そのこと』を切り出そうとした。しかし、彼女の屈託のない笑顔と、 ちょっとバカっぽいそんな言葉を前にして、何も言えなくなって言葉を濁した。 …輝きに満ちたその笑顔、その言動を、ぼくの無粋な言葉で曇らせたくない、そう感じたからだ。 「…っと、そろそろお昼休みも終わりだね。君もわたしも授業に戻らなくっちゃ。…さ、行こっか。」 「は、はい…。でも、この人たちは?」 「いいんじゃないの?せっかくだからもうちょっとのびててもらおうよ。その方が平和だし。」 「そういうものですか。」 「そういうものなのです。ささ、早く、行こっ。」 「…。」 −−−確かに、そんなことを続けていれば、おのずといじめの数は減ってゆき、 いつかはいじめのない学校ができるのかもしれない。だがそうなったとき、桜田さん、あなたは一体どうするんですか? いじめがなくなったあと、あなたの目の前にあるのは、 その強さ、その恐怖から、畏怖の念を抱かれ、悪意をもってつまはじきにされるみじめな己の姿なのではないか? 桜田さん、あなたはこの結末に気づいていて、あえていじめをなくすために頑張っているの?それとも…。−−− …ちなみに増山たちは、日がどっぷり落ちるまで、屋上の青空の下に置き去りになっていたらしい。 ご丁寧に桜田さんが彼らのもっていた鍵を奪い、階段側から鍵をかけたため、出ることができなかったからだった。 気の毒な話だとは思うけれども、彼らのやっていたことを考えると、なんともいえないところである。
「はい、とうちゃくー。」 「…ちょっ、あの、足…速いですよ…。ひぃ、ひぃ…。」  6時間目も終わり、皆がクラブ活動にいそしむ放課後。ぼくは再び彼女に手を引かれ、 南校舎の3階、その奥にひっそりとたたずむ、そこそこ大きな教室の元に案内された。  生徒たちの教室がある北校舎とは、3階の連絡口を通して繋がっている南校舎。 (生徒たちから見て)娯楽施設である図書室は北校舎にあることと、 職員室や校長室や保健室など、先生たちがたくさんいる1階に、図画工作室や視聴覚室のある2階と、 あまり楽しめるような施設が設営されてないことから、校内を捜索範囲と定めた鬼ごっこや泥警(ドロケイ)などで、 隠れ場所として使うことを除いて、授業時間以外で好き好んでこの場所に来る生徒は少ない。 …そのはずだが、ぼくが立つこの教室だけは、授業外なのにも関わらず、 話し声やちょっとしたざわめきが扉の隙間から漏れだし、いやに賑やかなのだ。 「…あの。ぼくはなんでこんなところに?」 「ま、ま。入ってみればわかるからさ。」  彼女に促され、ぼくはとりあえず、家庭科室の引き戸を開けて中を覗いた。 そこでぼくが見たのは、教室としては若干広めのその敷地の中で、 一方ではわきあいあいと、一方ではわいわいがやがやと遊ぶ生徒たちの姿だった。 20人近くの生徒は皆、自分のやりたいことをしたいグループに分かれており、 テーブルの上にトランプを広げて大貧民や占いをするグループもあれば、 元々家庭科室に備え付けられているソーイングセットで、自分たちで持ち寄ったのであろう布や綿を使って、 小さなぬいぐるみやワッペン、小袋を作るグループ、また一方では、椅子を教室の端に片し、 机を障害物に見立て、新聞紙を丸めて作った棒のようなものでチャンバラごっこをするグループもあった。 グループに分かれ、裁縫にチャンバラごっこと、相反する遊びをしているものの、 両方が両方のことを気遣い距離をとって、相手の領域には入らないように配慮していた。 どちらがどちらかを嫌がっている様子はなく、皆心から楽しそうなのが印象的だった。 「あの、これは…どういうことですか?」 「わたしね、この手芸クラブの部長さんなんだ。 知ってるでしょ?しゅげい。小さなぬいぐるみとか、小物とか、そういうのを作るやつ。」 「それはまぁ、人並みには。でも、なんで桜田さんが部長さんをやってるんですか?」 「なんでかって?…カロンくん、さ。ここの子たちを見て、何か気付かない?」 「何か…、ですか?」  ぼくは、家庭科室全体を見回し、少し間をおいてから答える。 「………そう〜、ですね〜。………もしかして、桜田さんが助けた子たちの集まり、とか?」 「ほほぉ。ごめーさつ。よくわかったね。」 「まぁ、ここで、桜田さんが話すとなると、だいたいそれぐらいかなー、って。」 「…それも、そっか。ま、それはともかく。知ってた?いじめられっ子を助けるのって、 ただいじめっ子をやっつけるだけじゃ終わらないのよ。多くの人や先生が陥りやすい罠だから、 しょうがないっていえばそれでおしまい、なんだけどね。わたしも前はそうだったし。 でも、ただその子をいじめるいじめっ子をやっつけただけじゃ、その子を助けてあげたことにならないの。 …なぜだか、わかる?」 「…う、うぅむ。」  桜田さんはホント、人が質問しているのに、そこに質問をかぶせるのが好きな人だなぁ、と思ったのと同時に、 今までいじめられていた側にも関わらず、ぼくはその問いに答えを出せず、言葉に詰まった。 ぼくが答えられないのを見た桜田さんは言葉を続ける。 「…ちょっと失礼なことを言うようでごめんね。君もそうだったと思うけど、 いじめられる側ってたいてい、ひとりぼっちで、悩みを相談できる友達もいなくて、 だからこそ、どうしていいかわからない子ばかりなのよね。…いくらか例外もいるけど、ま、それは置いといて。 なら親や先生は、友達を作って悩みを聞いてもらえばいい、って軽々しく言うけれど、 そんなの、簡単に出来たら苦労しない、だからこそ困ってる。…ってのがみんなの本音。君も考えたこと、あるでしょ?」 「え、えぇ。そりゃあ、考えなかったなんて言ったらうそになりますし。」 「いじめっ子をやっつけたら、たしかに一時はその子に対するいじめはなくなる。 でも、一時は一時。その子自身が変わらなければ、ほとぼりが冷めたらまた襲ってくるし、 そうでなくても、他の子にいじめられてしまうかもしれない。 自分の周りが火事の中で、ちょっと目の前の火の粉を振り払っても意味がないのとおんなじ。 火事そのものを消さなくっちゃ、火の粉はすぐに自分の周りにまとわりつくんだから。 かといって、わたしだっていじめられている子みんなを守らなきゃいけないのに、 その子たち一人ひとりを見続けるのには限界がある。 …そこでわたしが考えたのが、この手芸クラブだった、ってわけ。 見ず知らずの赤の他人と友達になるのは難しいけど、同じいじめに遭ったっていう共通項があるし、 痛みを知っている人間だからこそ、他人にやさしくできるし、わたしも精いっぱい仲立ちをする。 みんながみんなそうだとは限らないけど、少なくとも、孤立している中で友達を作るよりかは簡単なはずだし、 ひとりぼっちでいるよりは、ずっとずっと楽しいはずだもの。」 「……そういうもの、なんですか。」 「ま、それはそれとして。いつまでもドアの前で顔をのぞかせてないで、ほら、入るよ。」 「え、え!?あ、あ、あぁッ!」  桜田さんに背中をぽーんと叩かれ、ぼくは若干不本意ながらも家庭科室の中に足を踏み入れた。 突然のことだったのでバランスを崩して転びそうになったが、つま先に力を入れて踏ん張ったおかげで、 なんとか転ばずに済み、ほっ、と安堵のため息をついた。 「やっほー。みんなー、楽しんでるー?…って、あ。」 「痛てっ!……………うぅう。」 「ごっ、ごめんねぇ〜。つい。」  踏ん張ったおかげで転ばずには済んだ。が、そこで遅れて桜田さんが入ってきて、 右手で軽くぼくをさわったため(本人はさわったのではなく、ただ手を上げただけなのだろうが)に、 片足立ちという非常に微妙なバランスで立っていたぼくは、その衝撃でバランスを崩し、 前のめりにあっけなく転んでしまった。…当然、教室内のほとんどの子に笑われたのは言うまでもない。 「あっ、桜田さんだー!」 「桜田さん、こんにちはー。」  が、桜田さんが教室の教卓前に歩を進める頃には、皆の興味の対象はぼくから彼女に移っていた。 若干惨めな気がしたが、彼女の周りを囲う子たちの楽しげな態度と雰囲気を見ていると、 そんなことはどうでもいい気がした。   「ねぇ、見てよ桜田さん、わたしたち、桜田さんのために、ちっちゃなうさぎさんのぬいぐるみつくったのー。」 「あぁ、みなとちゃんに、ゆうひちゃんに、なごみちゃん。 …おぉ〜。なかなか可愛くできたね。うん、ありがたくいただかせてもらうね。」 「ねぇねぇ、こっちでチャンバラやろーよー。桜田さん用のやつもちゃんと用意してあるよー。 桜田さん、すぐに壊しちゃうから、うんと丈夫なやつ。」 「真人くんに謙吾くん。はは、は…。ごめんねー、壊すつもりでやってるんじゃないんだけど…。 でも、やるなら負けないよー!さぁさぁ、どこからでもかかってきなさい。みんなまとめてうちとったりー!」 「桜田、さぁん…。」 「あぁ、繁田先輩、また同じクラスの子にいじめられたのねー…。 繁田先輩、体おっきいんだから、そのおっきさを心のほうにも回さなくっちゃ、ね。」 「うぅう。」 「だーいじょうぶ、繁田先輩のいいとこはわたしが知ってるから!いっしょにがんばろうよ、ね?」  桜田さんの呼び声で教室内の生徒たちは、皆彼女の元に集まり、彼女を囲って親しげに話をし、 ある子は彼女に贈り物を、ある子は自分たちの遊びに彼女を誘う。 正直なところ、桜田さんの言っていたことは妄言であり、推論だったわけだが、 こうもわきあいあいとし、誰もが満足げなのだから、誰がそれを妄言と言えるのだろう。 妄言も推論も、こうして形になってしまえば、それは現実となるのだから。 …個人的には、桜田さんよりもふた回りも体の大きい上級生が彼女に泣きつき、 彼女がそれをあやす姿がちょっと面白くて吹き出してしまった。 下級生のみならず、上級生からも支持を得ているあたり、彼女の人望の強さが相当なものだと窺える。 彼女なら、本当にこの学校からいじめをなくすことができるのかもしれない。 それは『期待』という不安定な願望ではなく、『確信』という揺るぎのない確固たるものとして、ぼくの眼に映った。
 ―――…だが、それゆえに、一抹の不安、いや疑問がぼくの脳裏をよぎった。 なぜ、桜田さんがここまでのことをやっているというのに、いじめは後を絶たず毎回毎回起こるのだろう、と。 彼女が怠けているとか、上っ面だけの措置を施しているにすぎない、なんてことはない。 そうだとしたら、あれほどまでに弱者から慕われることも、強者から恐れられることもないはずだから。 では、なぜ?なぜこうなった?ぼくはやりどころのない怒りに震え、不可思議な疑問に頭を抱えた。 下駄箱の中に無理やり押し込められた、給食の食べ残しと、そのせいでひどく汚れたうわばきを見据えながら。 …それは、桜田さんと出会ってから5日ほど後のことだった。 朝、普通に登校して、意気揚揚と下駄箱に手をかけたとき、不可思議な異臭と悪寒に気づき、 ぼくはおそるおそる下駄箱の取っ手に手をかけ、そーっと開いた。…そしたらこうだ。 まったく、さっきまでのさわやかな気分が台無しだ。嫌になる。 ごみくずやパンとかそういう固形のものならまだよかった。片付ければ事足りるわけだし。 しかし、なんなんだよもう、うわばきにかかっていたのは、汁々の肉じゃがに、 わざわざ固形の具をぐちゃぐちゃにしてぶっかけたみそ汁。全部、昨日の給食のメニューだ。 肉じゃがはまだしも、わざわざ具をぐちゃぐちゃにするぐらいだ。やったやつの悪意の強さには辟易する。 「おっ、南くんじゃん。おはよっ。…どうしたの、そんなうかない顔してさ。」 「…森元、くん。おは、よう。」  意気消沈しているぼくに誰かがおはようと挨拶をかけてきた。 その声に聞き覚えがあったので、ぼくは声のした方に向き直り、あいさつを交わす。 そこには、ぼくの金髪ほどではないものの「普通」とはだいぶかけ離れた、赤髪の少年の姿があった。 彼は名は森元雅人。以前桜田さんに連れられてやってきた家庭科室で出会った、ぼくより一つ上の子だ。 いじめられ、あの場所にたどり着いた理由がぼくと似通っていたことから、すぐに打ち解け、仲良くなった。 ただし、彼の場合はただでさえ恰好のよい容姿と、それを引き立てる赤髪、そしてその容姿には全くそぐわない 気の弱さと運動神経のなさが原因だった。運動全般は点でダメな彼だが、 ユニフォームを着せてサッカーボールを蹴らせてみたり、 ヘルメット頭に被せてバットを持たせ、マウンドに立たせると、お世辞ではなく本気で絵になるところがまた、 他の男子から毛嫌いされる要因だったのだろう。 「ひどいね、これは。肉じゃがの残りに、具をぐちゃぐちゃにかき混ぜてこぼしたみそ汁。 洗わないと履けないね、このうわばき。っていうか、洗ってもにおいが…。」 「それ以上言わないで。わかってる。とりあえず職員室でスリッパ借りてこなくちゃ。 あ、でもこれを洗わなくちゃいけないし…。」 「あぁ、スリッパなら僕が借りてきてあげるから、その間にトイレのあたりででも洗っておいでよ。 急がないと朝の会始まっちゃうよ。」 「あ、ありがと。森本くん。」 「うぅん、気にしないで。困った時はお互い様、だよ。」  森元くんが職員室にスリッパを取ってきてくれる間、 ぼくは近くにあったトイレの前の水道でうわばきについた汚れを洗い流すことにした。 近くとはいえある程度の距離は歩かないといけなくて、白い靴下の裏は汚れですっかり黒ずみ、 うわばきを洗っている最中、トイレの前を通りかかる生徒の何人かに冷やかされたが、気付かないふりをして無視した。 いちいち反応していると、鬱になってしょうがなかったから。 なんとか汚れを取ることはできたが、森元くんの言ったとおり、そこから発せられるにおいだけはどうすることもできなかった。 しょうがないことだと思い納得はした。納得はしたけど、クラス中の視線という視線が痛くて辛くてしょうがなかった。 今までのぼくなら、ただ泣き寝入りするだけだっただろう。 もしも犯人を見つけ出せたとしても、相手に襲われるのが怖くて、手を出さないだろうから。 でも、今は違う。今のぼくには、いや、ぼくたちいじめられっ子たちの前には、 桜田 瞳璃という希望がある。もう報復を恐れてびくびくする必要はないし、 何より、守られているだけじゃいけない。彼女に救われたことに対し感謝したいのなら、 もう助けてもらわなくても大丈夫だって示さなくっちゃ。 それが彼女に対する、一番の恩返しだと思ったから。  放課後。クラスの嫌な視線から逃げるように、 ぼくは授業後すぐに教室を抜け、下駄箱に上履きを入れさも帰ったように見せかけて、 昇降口のすぐ近くにある、掃除用具入れの中に隠れて様子をうかがい、犯人の証拠をつかもうと考えた。 犯人を見つけて、そいつをどうこうできるか、とは特に考えていなかったが、まぁ大丈夫だろう。 なにせ、ぼくたちにはあの桜田さんがいる。ぼくでダメでも彼女なら。 …いや、いや。最初から彼女に頼る姿勢じゃダメ、だよな。 あぁ、いや、でも。ぼく以外にもこういう陰湿ないじめに苛まれている子はたくさんいるはずだ。 これはぼくひとりの問題じゃない。その子たちのためにも、こうして証拠をつかむのが大切なんだ。  日が陰りだし、ほとんどの生徒が下校する5時台。 待てども待てども下駄箱の近くには誰も現れず、ぼくの中に焦りと迷いが生まれていた。 落ち着いてよく考えてみれば、今日下駄箱の中に給食の残りを入れられたとして、 それが今日も続けて入れられるという保証はないのだ。 その可能性も考慮に入れず待ち伏せをしていたわけではないが、 夕暮れ時で辺りも暗くなる中、ただでさえ薄暗い掃除用具入れの中はすぐさま真っ暗闇と化し、 その闇はぼくの心の中に暗い影を落とすようで、怖くて怖くてしょうがなかった。 こんな恐ろしい場所に隠れようと考えたやつを呪ってやろうかと思ったが、 ほどなくして、それは自分だったことに気づき、無駄であることを悟った。 とりあえず、やりどころのない恐怖と怒りをため息に変えて発散することにする。 がたっ、がたたたっ!  そんな時。 突然、何者かが掃除用具入れの取っ手に手をかけ、戸を開けようとしたのだ。 ぼくは反射的に中側の取っ手を引っ張り、開けられないように抵抗した。 戸の先の人物は強い力で取っ手を引っ張り、前に後ろに引き付け、ぼくを中から引きずり出そうとする。 今戸をあけようとしている人物が犯人であるかどうかは分からない。けど、このまま引きずりだされたらやばそうだ、 ということは反射的に理解できた。ならば、やることはひとつ。 「う、うぉおおお、るぅあああああ!」 「!? へ、けっ…。」  ぼくは相手の裏をかいた。やつが無理やりこの用具入れを開けようとしているのなら、あえて開けさせてしまえばいい。 ぼくは相手が取っ手を後ろに引っ張り、再び押そうとするタイミングを見計らって、 思いっきり腕に力を入れて戸を押し、勢いよく用具入れを開け放した。 それまで戸を引っ張っていた相手は、その勢いに文字通り出鼻をくじかれ、情けない声をあげてその場に倒れこむ。 ぼくはおそるおそる用具入れの中から顔を出し、手を出し、足を出して、外の様子を伺った。 「……………森元…、くん!?」  用具入れの戸の先には見知った顔があった。あの森元くんだ。 彼は夕日に映えたその赤髪の上からぶつけた個所を痛そうにさすっていた。 「いて、ててて…っ。」 「森元くん!なんでぼくがここに隠れてることが分かったの!?っていうか、なんであんな強引な開け方したの!! あ、いや、それよりも、なんで君がこんなことを…。」 「『なんで』が無駄に多いよ。三回も言っちゃって…、そんなに大事なこと?ま、いいや。質問されたからには答えるよ。 ひとつ。下駄箱辺りを見張るならここが一番周囲を見回せるし、何より隠れるのにも都合がよさそうだから。 ひとつ。強引なんて人聞きの悪い。君が力を入れて開けられないようにしたから、じゃないか。 僕だって、君が戸を開けるのを邪魔しなければ、あんな風になんてしなかった。 さいご。桜田さんに頼まれたから、だよ。帰り際に道ですれ違ってさ。 桜田さん、心配してたよー、下駄箱にゴミを入れられるなんて…って。自分で助けに行ってあげたいけど、 他にも助けなきゃいけない子が大勢いるから、って、僕に君の様子見を頼んだんだ。 …そのあとで先生につかまっちゃって、宿題の居残りで遅くなっちゃったけど。」 「宿題ぐらい機能のうちにやろ…って、え!?うそ、なんで!?」 「どうしたの?」 「そんなの…おかしいよ。だってぼく、桜田さんにまだこのこと、話していないもん。」 「…??えっ、おかしいな。でも桜田さんはぼくがその話を切り出す前から君を心配してたよ。だから………… ……………。」 「…!?も、森元くん!?」  何が起こったのかさっぱりわからない。いきなり森本くんが気を失って、前のめりに倒れこんでしまったのだ。 誰かが森本くんの背後に忍び寄って襲ったようだけど、それなら目の前で話をしていたぼくが気付かないはずがないし、 なにより、彼の背後には今、誰もいない。 意味が分からない。さっき森元くんに用具入れを揺すられたとき以上の恐怖に背筋が凍った。 と同時に、ぼくは彼の二の舞にならぬよう、瞬時に身構え、体中の感覚という感覚を研ぎ澄ませ、敵の襲撃に備えた。 しかし、ぼくの視界の前には何も映らず、聞こえる音といえば、時々吹く風の音程度。 まばたきする一瞬さえ何時間にも感じられるほど、ぼくの体は緊張と恐怖でガチガチになっていた。 からん。遠くで何かが転がる音がする。それが人の足音やその他でないことは、頭では分かっていた。 しかし、冷凍庫に長時間入れられていたバナナのごとく、ガチガチなぼくの感覚神経はその音に反応せざるを得ず、 ぼくは音のした方向に体ごと向け、その先を凝視して警戒を強めた。…そして、それがいけなかった。 『敵』はぼくがそうすることを読んでいたのだ。 当然、そんなことはぼくだって分かっていた。頭ではなく、本能で動いたのだから、ぼく自身にも止めようがない。 しかし、そんなことは些細な問題だった。『敵』はその姿を視認するよりも早く、ぼくの背後に回り込み、 (背中越しだったのではっきりしなかったが)首筋を強く叩いて、ぼくの意識を失わせた。 刺すような瞬間的な痛みに耐えながら、意識が薄れていく中で、ぼくは『敵』の姿を確認しようとした。 しかし、既に『敵』はぼくの視界からはとっくに消えていて、その姿を確認することはかなわなかった。 男か女なのか?大きい人か小さい人か?そんなことすらも分からないことを激しく後悔しながら、 ぼくは地に伏して意識を失った。 「……はっ!!」 「あぁ、気がついた?」 「…?ここは…、どこ?ぼくは…だれ、だっけ?…あ、いや。ぼくはカロン、だったか。それを忘れちゃまずいよなぁ。」  どれだけ時間が経ったのだろうか。目を覚ますと、ぼくは真っ白な天井を見据えていた。 首を左右に動かして辺りの様子を窺う。頭の下にふわふわとした感触のよい枕が置いてある。 ゆっくりと体を起こして辺りを見回す。ぼくの体には白い掛け布団がかけられていた。 そして、ぼくを気遣うやさしげな声に、白い白衣の女の人。…そうか、ぼくは保健室に連れてこられたのか。 …なるほど、分かってきたぞ。ぼくはあの時、何者かに叩かれて気を失って、 気がついたらここに運ばれていた、ってわけだ。…ん?でも、待てよ。だったら…、 「あの、先生。…ぼくは、なんで、ここに?」 「なんで…って、ここが、保健室がそういう場所だからに決まっているじゃない。 何?君には保健室は哲学の勉強したり、君の乗っかっているベットの上でプロレスをやるような場所に見えるの?」 「いや、そうじゃなくて。なんでぼくはここで寝ているのか、ってことです。」 「あぁ、そういうこと。じゃあ、君を連れてきた子に聞いてみれば?」 「聞いてみれば、って。…いるんですか?ぼくを運んでくれた人が。」 「えぇ。そんなに心配ならこの中で待っていればいいのに、って言ったのに、 頑なに教室の前で待つ、っていうものだから、その引き戸の先で待ってるんじゃないかしら。」 「そう…、ですか。それは、どうも。あ、そうだ…もうひとつ。」 「なぁに?」 「ぼくが運ばれたっていうんなら、もう一人、ここに運ばれた子がいませんでしたか?」 「えぇ、いたわよ。けどその子、君よりも早く目を覚ましたみたいだから、 私に言伝を頼んで先に帰っちゃったわ。『足手まといになっちゃったみたいで、ごめんね。』って。」 「そう、ですか。…あのっ、ありがとうございました。」 「お礼なんていいわよ。それが私の仕事だもの。 それにお礼なら、あなたとそのお友達を運んできた彼女に言ったらどうかしら?」 「かのじょ…ですか。」  保健の先生は、ぼくを運んできた子のことを”彼女”と言った。 ぼくの知っている女の子の中で、そんなことをしてくれ、かつそれができそうな子は一人しかいない。 引き戸を開けて外に出た瞬間、自然とその人の名前を口走っていた。 「桜田さん…ですよね?」 「…ごめーさつ。」  思ったとおり。彼女は保健室の壁に寄りかかり、ぼくが目覚めるのを待っていたようだった。 「もう大丈夫?歩ける?君のお家まで送ってあげようか?」 「いえっ、ひとりで歩けますから。でも…。」 「うん?」  桜田さんはぼくの顔を見るなり心配そうな面持ちでぼくに詰め寄った。 ぼくなんかのことを過度に心配してくれる桜田さんのその態度が嬉しかったが、 そのことに関する感謝の言葉よりも先に、ある疑問を口にした。 「なんでぼくが、ぼくたちがあそこで倒れていることがわかったんですか?」  彼女はぼくがその問いを口にするのを分かったいたのか、 まったく表情を崩さずに、ぼくの顔を見て答える。 「はは、何をいまさら。わたしはだぁれ?いじめっ子たちから君たちいじめられっ子を守る、 桜田 瞳璃さんですヨ?それぐらいのこと、わかってて当然なのです。 …でも、今日はそのぅ…、ごめんね?校内を回ってて、君たちのところに来るのが遅れちゃったみたい。 わたしがあの場所についた時にはもう…、ごめん、ね。」 「いいですよ、そんなの。…桜田さんは何も悪くないですから。」 「そ…っか。ありがと。じゃあ、もう帰ろっか。…ほら、君の靴、持ってきてあげたから。 今から昇降口に向かっても、入り口が閉まってるから出られないしね。」 「ありがとうございます。そうですね、帰りましょう。」  ぼくは桜田さんに手を引かれ、南校舎側の入り口から学校を出て、曲がり道で彼女と別れた。 本当は他にも彼女に聞きたいことはたくさんあった。あったものの、彼女の弁明の際の息苦しそうな顔を見ていると、 とてもその先のことを質問する気にはなれなかった。  そして次の日。予想通りぼくの下駄箱の中には、昨日の給食の残りが詰め込まれており、 上履きの白い部分は所々濁った黄色に染まっていた。 黄色に染まっているのはおそらく、昨日の給食の献立がコーンポタージュだったからであろう。 …当然、ぼくはそれに対し強い嫌悪感を示したものの、それ以上に、 下駄箱に入れるためだけに給食のコーンポタージュを残して隠し持っておくという 犯人の根気というか馬鹿というか異常ぶりが目につき、怒りを通り越して少々呆れていた。 しかし、そもそもぼくはいじめられていた側だ。恨まれるいわれはない。 ならば、見張っていたぼくや森元くんを闇討ちしてまで、こんなことをする理由はなんなのだろう。 …ぼくがひとりで考えていたところで、分かるはずもなかった。 「ありがとね、森元くん。こんなことにいちいち付き合ってくれてさ。」 「いいっていいって。…とっとと犯人を見つけ出して桜田さんに引き渡さなくっちゃ。」 「じゃあ、手筈はさっき言ったとおりに。」 「りょーかい。まかせてよ。へへへ、なんだかスパイ映画みたいでわくわくするね。」 「スパイ映画…とは違うと思うけどなぁ、これ。」  その日の放課後。こんな馬鹿げたことをしている奴の面を拝もうと、 ぼくは再び昇降口の周辺に身を隠し、様子を窺っていた。 前回の反省から、掃除用具入れに隠れるのはやめ、ぼくの下駄箱からは死角になる柱を探し、 そこから様子を窺うことに決め、桜田さんに言われて様子を見にきた、 と言っていた森元くんにも最初から協力を仰ぎ、ふたりがかりで周囲を見張ることとした。 「言葉でコミュニケーションを取るのはまずいのではないか」と考えたぼくは、森元くんと話し合い、 ぼくたちはお互いの隠れている場所が分かるような位置に立ち、 怪しいやつがやってきたら柱の影から手だけを出してハンドシグナルで合図を取り合うという、 古典的かつ声なしでコミュニケーションを取ることのできる方法を使うことにした。 「…!!」 それから20分後。不意に森元くんの右手が柱の陰から現れ、彼の手が、指が左方向を指し示す。 ぼくはついにきたか、と勇んで彼の指し示す方向に首を向ける。 しかし、彼の示した方向には人っ子一人見当たらない。 ぼくは、彼がとっさのことで方向を間違えたのかと思い、彼のほうに視線を戻す。 「…は……?」 すると、どうだろう。森元くんの右手は、左側を向いたまま、力なく床に倒れているではないか。 ぼくは動転、困惑する頭でなぜそうなったのかを必死になって考えるが、その答えが出ることはなかった。 なぜなら、頭の中で答えを探そうとしたその瞬間、ぼくの後頭部に強い衝撃が奔り、 ぼくの意識はそこで途切れてしまったからだ。 「んん…、ん。」 「お目覚め?調子はどう?」 「あぁ、はい。…なんとか。」 「そ。起きてすぐに立ち上がれるぐらいだし、もう大丈夫ね。 しっかし、今日はどうしたの?保健室の前であおむけになって倒れてるだなんて。 喧嘩に勝った帰り?それとも負けた帰り? ま、それはともかく、君のお友達の子も無事よ。まだ眠ってるけど。」 「おともだち…?あぁ、森元くん!せ、先生、大丈夫なんですか!?森元くんは!」 「…聞いてた?私の話。大丈夫よ。眠ってるだけ。」  目覚めはまたも保健室のベッドの上だった。しかも今度は一緒に見張っていた森元くんも 向かいのベッドですやすやと眠っている。ぼくらの企ては失敗に終ったようだった。 しかし、ひとつ救いと言うべきか、収穫はあった。 「あの、先生。ここで寝ている森元くんですけど…、ぼくよりも先に起きたりとか、してましたか?」 「うん?いいえ、あなたと一緒に保健室の前で倒れていた時から、ずぅっとここで眠っているわよ。 それがどうかしたの?」 「あ、いえっ。大したことじゃないですから。」  そう、森元くんはこの件に関して関与はしていない、ということだ。 そんなことをするような人じゃない、と信じていなかったわけではないが、 今現在一番ぼくと近しい人間で、事情を知っているのは彼と桜田さんぐらいだし、 昨日だって、ぼくよりも先に目覚め、保健室を去って行ったのでアリバイもなかった。 しかし、今日は違う。ぼくは彼よりも早く目覚め、今こうして彼の寝顔を見ている。 保健室の先生も、ぼくと彼が同時にのびていて、どちらか一方が先に目覚めたなどとは言わなかった。 完全に犯人にしてやられたが、友達である森元くんがぼくを陥れてはいないとわかっただけで、 今日、あぁして昇降口に張り込んで良かったと思えた。 「う、うぅん…。」 「あっ、気がついた!森元くん、大丈夫、森元くん!」 「む、む、む・・・。大丈夫だよ。なんとかね。」 「よかった。…でも、こうしてぼくも森元くんも保健室で倒れてるってことは…。」 「…残念ながら、相手の顔は見てない。後ろから殴られたか蹴られたで意識をなくしちゃって。 でも、あきらめちゃだめだ。今日がだめでも明日がある。明日がだめでも明後日がある。 大切なのは、あきらめない強い心なんだ。勝負ってのは地面に倒れこんだときに決まるんじゃない、 心が折れて、立ち上がれなくなった時が負けなんだ、って。…桜田さんの受け売りだけどね。」 「はは、は。(女の子の言うセリフじゃないよ、まったく。)」  そのあと、ぼくたちは保健の先生にお礼を言うと、まだ少し痛む体を二人で支えあいながら校舎を後にした。 先生の言う「保健室の前に倒れていた」という言葉が少し気になったが、それはひとまず頭の片隅に追いやり、 森元くんと二人で今後の対策について考えることにした。 それから何日も何日も、ぼくと森元くんは、姿の見えない謎の犯人に対し抵抗を続けた。 前二回の反省を踏まえ、ただ隠れて見張るだけでなく、 下駄箱の中に触るとくっつく鳥もちや、色落ちのしにくい塗料の入った水風船を仕込んでみたり、 上履きの代わりにネズミ捕りを仕掛けて一泡吹かせてやろうと画策したのだが、 どういうわけか、犯人はなんなくそれを見破ってしまったため、何の意味も成さなかった。 それどころか、仕掛けがうまくいっているかどうかを確認しに行った瞬間、物陰から襲われたり、 ひどいときは、逆にぼくたちが仕掛けにはまって自分の服や上履きを汚したり、 ネズミ捕りに手を挟まれのたうちまわるという情けない姿まで曝してしまっていた。 そんないたちごっこから、状況が大きく変わったのは、犯人を探し始めて10日ほど過ぎた朝だ。 ぼくは何者かによって汚された上履きを履き、ランドセルから教科書や筆箱を取り出し、1時間目の授業の準備をしていた。 最初の頃は汚れた上履きを嫌がり、職員室でスリッパを借りて履いていたのだが、 毎日毎日汚されているのを見て、洗っても洗っても汚れが落ちなくなってきたことにすっかり慣れてしまい、 スリッパを借りる方が面倒だと感じたので、今はあえて汚れた上履きを履いている。 あんなに嫌だと思っていた異臭も、履いたときのぬめぬめ感も最初のうちだけで、20分もすればすっかり慣れてしまった。 人とは、人の中にある『慣れ』という感情とは不思議なものである。 しかし、それに慣れたのはぼくだけで、一緒のクラスで授業を受けるクラスメイトたちはそうはいかない。 まぁ当然である。自身の周囲に異臭を放つやつが近くにいて、いい気分がするはずがない。 そのうえ、原因が弱虫でいじめられっ子のぼくだときた。襲わない理由など、ない。 最初にからんできたのは、以前ぼくの頭にスプレーをかけようとしたあいつだった。 彼はわざとらしく鼻をつまみ、鼻声でぼくの前にやってきて、言う。 「あー、あー、くせぇ、と思ったらお前かよ、南。」 「…そうだよ。悪かったね、くさくて。…取り替えてくるよ。」  ぼくは悪態をついてそう答えた。以前いじめをかけてきたやつに仰々しくする必要などないと思ったからだ。 …とはいえ、彼に指摘されて、”確かに人からしたら迷惑だな”と罪悪感を感じたので、席を立ち、 職員室にスリッパを借りに行くことにした。 ぼくが椅子から腰を上げ、立ち上がったその瞬間、彼はぼくの胸ぐらをつかんでぎりぎりと締め上げた。 予想の範疇内の行動だったが、痛いものは痛いわけで、ぼくは声を上げた。 「ぐ、ああ…っ!」 「調子こいてんじゃねぇよ!弱えぇくせに、金髪の外人のくせに! 気に食わねぇんだよ!てめぇみたいなのが一緒のクラスにいるってだけでなァ!」 「ぐ、うぅ…、なんだよ、なんだよ。いじめるネタがないからって、 今度はぼくの存在そのものに因縁つけるのかよ。ぼくがいて、何か君に悪いことしたってのかよ。 …いい加減、うっとおしいんだよ、お前。」 「…あぁ!?」 「分からないのか?ぼくはもう、お前なんて怖くないって言ってるんだよ。 …どうしたよ?やってみろよ! いつもみたいにぼくを殴ってみろよ、ぼくを蹴りつけてみろよ!何度だって殴りつければいい。ぼくは全然かまわない。 けど、けどな、そのかわり…ぼくはお前の何倍も殴りつけてやる!蹴ったんなら、その何倍もやり返して蹴ってやる! もう一度言うぞ、ぼくはお前なんて…怖くないんだ!」  ぼくは胸ぐらをつかむそいつの右拳を、自分の左手でぎりぎりと握り返してやった。 左手に力を込めるほど、口から紡ぎだされる言葉に力がこもった。 言葉に力がこもればこもるほど、左手に入る力も勢いを増してゆく。これが相乗効果、ってやつらしい。 やつの顔が苦悶に歪むのが見えた。しかし、それはほんの一瞬で、すぐに怒りに震える形相に変わった。 やつはぼくの胸ぐらを離し、人一人分の距離をとると、ボクサーのような構えをとった。 「上等だ!ぶちのめしてやるよ、てめぇなんか、てめぇなんかぁあああああ!!」 「おぉぉおおおおおおおッ!」  やつは振りかぶって握り拳をぼくに向けた。それにつられてぼくも拳を握ってやつに向ける。 「…待ちなさいッ!」 「!?」 「さくらだ…さん!?」  しかし、その拳はやつに届くことはなかった。やつの拳もぼくには届かなかった。 どこから現れたのか、拳と拳の間に桜田さんが割って入り、両方の拳を受け止めたのだ。 桜田さんは両の拳を受け止めたまま、ぼくのほうに顔を向けて、心底心配そうな面持ちで声をかけてくる。 「大丈夫…だった?」 「え…?え、えぇ。なんとか。」  彼女の不安げな顔を見た瞬間、どうしてだか分からないが、ぼくの怒りは急速に冷め、拳に込める力をゆるめた。 しかし、向かいのあいつはそうはいかなかった。彼は激しい口調と表情で彼女を威嚇する。 「何しやがんだ!どきやが…うっ!!」  彼女は自分を威嚇する彼に向かい、冷淡で、その中に激しい憎悪が込められた目つきを向けた。 その目つきにたじろぎ、恐れをなしたのか、彼もまた力を抜くと、そそくさと立ち去ってしまった。 彼が立ち去った後、桜田さんはぼくの右手を両の手で包み込んで胸の前に置いてこう言った。 「…ダメ、だよ。あんなことしちゃ。」 「だめ、って…なんで!ぼくは、ぼくは…。」 「…わかってたんじゃないの?自分の力じゃ、あの子には勝てないんじゃないかって。 自分の力でいじめっ子に対抗するのはいいことだよ。だけど、その理由が怒りにまかせて、ってのはどうかと思うな。 前にもいったじゃない。中途半端に力をふるっても、やられてもっとひどい仕打ちを受ける、って。」 「……それ、は。」 「それに、君のそばにはわたしがいる。君が敵わないんならわたしが代わりに戦ってあげるから。 君は何も気負わなくていいんだよ。…ね?」  桜田さんにそう言われ、ぼくは心を落ち着けて冷静に考えてみた。 確かに、ぼくの力であいつを殴ったとして、ぼくはやつらを倒せただろうか。 さっきだって一発入れられただろうけど、もう一発を入れられた自信はない。きっとやられていただろう。 彼女は優しかった。ぼくを殴ることもなく、激しい口調でまくし立てることもなく、 ぼくの目を見て、ただぼくの心配だけをしてくれた。 ―――でも、ぼくは…。 「そんなこと…、言わないでください。あのままじゃたしかにぼくはやられてたかもしれない。 でも、でも…、だからって桜田さんの助けを待っているだけじゃあ、何も変わらないじゃないですか!」 「………!!」 「そりゃあ桜田さんがぼくたちを守ってくれるのは頼もしいです。それだけで勇気がでてくる。 でも、それだけじゃあダメなんです。ぼくたちは強くならなくちゃ、強くならなくちゃいけないんだ! 守られる側から、守る側にならなきゃ…ダメなんです!」  だからこそ、”守られる側から守る側にならなければ”ぼくはそう彼女にそう言った。今のぼくの正直な気持ちだ。 それを聞いた桜田さんはにこりと笑い、答える。 「そう…か。そう、だよね。うん、うん。…いい心がけだ。わたしもうれしい。 …ご、ごめん、ね。わたし、邪魔しちゃったかな。あはは、はは。」 「…いえ、ぼくこそ、変に出しゃばっちゃって…。」  桜田さんはそのまま笑って教室を出て行き、ぼくはその後ろ姿を見送った。 その笑顔は…曇っていた。
 その日の放課後。ぼくは桜田さんを南校舎の屋上前に呼び出した。 ぼくから彼女を誘うことなどなかったからか、少し戸惑っていたのだが、 例のいじめの件で相談がしたい、と付け加えると、二つ返事で承諾してくれた。 階段の一番上の段に座り込んで待っていると、彼女はすぐにやってきた。 「…ごめんねー、待たせちゃったかな?」 「いえ、大丈夫です。ぼくも今来たところですし。…ささ、上のほうにどうぞ。」  ぼくは桜田さんを屋上に通じる非常口の前にある踊り場に誘い、向かい合った。 いざ彼女と向かい合うと、どうにも恥ずかしいというか、なんだか不思議な気持ちになり、言葉が出ない。 …もしかしたら、これが”好き”ってやつなのかもしれないが、とりあえずそれは今は置いておこうと思う。 今、彼女に話そうとしている事柄は、そういう類の話とは、まったく別の話なのだから。 ぼくが向かい合って何も言えないでいると、彼女がそんな空気を察し、読んだのか、口を開く。 「どしたの?わざわざこんなところに呼び出してさ。…聞かれたくないようなことなの?」 「そ、それは………。」  ぼくは、それ以上言葉を紡げずにいた。ぼくの言いたいことは決して難しいことなどではない。 けど、簡単だからこそ言えないことだってある。頭の中で言いたいことは決まっているはずなのに、 それを言葉にして口に出すのが…怖いのだ。ぼくの考えていることが現実になるのが怖くて、 口を開くのをためらわせてしまう。そんなぼくを見て、彼女は言う。 「…言うのが怖いの?大丈夫。わたしはここにいるよ。桜田 瞳璃はここにいる。 …安心して、怖いことなんてなにもない。あったって、わたしがなんとかしてあげるから。…がんばれる、よね?」  彼女は、先ほど教室でしたときのように、ぼくの手を包み込むように握って、ぼくに話をするよう促す。 桜田さんはどこまでも優しくて、そして暖かい。ぼくの手を握る彼女の暖かさが心地よかった。 だから、だからこそ、ぼくの体はがくがくと震えた。寒いからじゃない、この先が怖いからだ。 …しかし、桜田さんにここまで励まされて、何もしないわけにはいかなかった。このままでは彼女に申し訳が立たない。 ぼくは歯を食いしばり、意を決すと、ときどきどもりながらも、考えたことを口にした。 「あの、あの、あの…。ぼ、ぼ、ぼ…ぼく、犯人を見つけたんです…、あの、靴の一件、なんですけど…。」 「…へぇ。さすがはカロン君、だね。…それで?誰だったの?そんなことする酷いやつは。」 「それは、それは、それは…。」  この人はわかっているのだろうか?それとも、ただはぐらかそうとしているだけ、なのか?わからない。 わからないけど…、ここまで言ってしまったからには、その先の言葉を言わないわけにはいかなかった。 ぼくは、消え入りそうな声でその名前を口にする。こんなところで絶対に口にしたくなかったその言葉を。 「さ、さ、さ…さくらだ、どうり…………!!」    ぼくは体中の勇気という勇気を振り絞り、最もこの場で出したくない名前を口にし、目をつぶって頭を垂れた。 …前を向いているのが怖くて怖くてしょうがなかったから。 桜田さんは驚きこそすれ、大きな声を上げることはなかった。 それどころか一呼吸置いたあと、ふっと笑い、いかにも余裕ありげに口を開き、言葉を紡ぐ。 …ぼくが予想していた答えの、まったくの間逆の言葉を。 「…………そっ、か。そう、きたか。そりゃあそう、だよね。」 「え…?」  ―――なんで……? 「そりゃあそうだよね。あんなこと…、気づかれずに背後に回って一撃なんて、普通の子はやらないもんね。 どこの暗殺者のやることよ、そんなの。ばっかみたい。」 「ちょ、ちょっと。桜田さん…。」  ―――なんで?なんで………? 「むしろ今まで気づかれないほうがおかしかったよね。…それとも、あれかな?知ってて何も言わなかったのカナ? やさしいね、カロン君は。…いいことだとは思うけど、言いたいことは言いたいときに言ったほうがいいと思うよ。わた」 「待ってください!桜田さん!!」  ―――どうして、どうして…否定してくれないんだ!?一言言ってくれさえすればいいのに。 ”わたしはそんなことしない”って、”冗談きついヨ、カロン君”って、 ”あははは、そんなわけないじゃない”って!いつもみたいに、明るく、澄んだあの笑顔で!なんで!なんで… 「…なん、で…っ!!ひぐっ、ひぐっ…えぐ…っ!!」  …ぼくはいつの間にか泣いていた。 考え得る最悪の事態が今、目の前で起こってしまったから。 桜田さんはぼくの手から自分の手を離すと、ぼくに背を向けて、言う。 「…むかしね。この学校に、一人の女の子がいたんだ。 その女の子の前には誰も友達がいなくて、いつもさみしくて、からっぽで、 あるときは教室の隅っこで、あるときは図書室の隅っこで、またあるときは校舎の裏で一人で泣いてた。」  ぼくに聞かせるための話ではなかった。言の葉に感情が込められていない、 ただただ口を動かしているだけの、留守番電話なんかが発するような、無機質で機械的な声だ。 彼女は続ける。 「でも、ただ泣いているだけの日はまだいいほうだった。汚れたモップの柄で叩かれたり、 トイレに入っているときに上から水をかけられたり、着替えたあと、服を盗まれたり、 教科書に『死ね』とか、『お前なんて消えちゃえ』って落書きされる…、毎日毎日がそんなことの繰り返しだったから。 助けてくれる先生もいた。心配して励ましてくれる両親もいた。でも、その都度いじめは消えたり現れたりを繰り返して、 その波が落ち着くことはなかった。両親の『がんばれ』という励ましの言葉も苦痛に思えてきた。 なんでわたしだけがそんな目に遭うの?人はみんな平等なら、なんでわたしだけがいじめられるの? 彼女はいつも夜空を仰いで天に答えを求めたけれど、その答えが返ってくることはなかった。 いつしか、いじめられることにも慣れて、涙も枯れ果てた。なれればどうってことはない。 いやなことからは逃げていればいい。目を背けてさえいればそれでいい。 そう思うと、急に今までのことがどうでもよく思えて、気が楽になった。」 「ある日のこと。彼女がいつものように登校すると、 校舎裏で一人の女の子が三人の上級生に囲まれている場面に出くわした。 体の大きな男の子に囲まれて、彼女は怖さにただただ震えていた。どれだけ涙を流しても、 どんなに声をからして助けを乞うても、彼らは一向にそれを聞き入れようとはしなかった。 むしろ、彼女の目にはそれを見て楽しんでいるように映った。 その中のひとりが彼女の長いおさげの髪をぐいぐいと引っ張り、女の子はわんわんと泣き叫ぶ。周りには誰もいない。 彼女の中で何かが切れた。彼女は思いっきり声を上げて、おさげを引っ張る男の子に体当たりを仕掛けた。 ひるんだところでTシャツの袖をつかみ、がん、がん、と校舎の壁に男の子を叩きつけ続けた。 叩き付けた男の子にも、その周りの二人にもさんざん殴られて、蹴られ続けたけど、彼女はそれをやめなかった。 そんなやり取りが続くと、いつしか男の子たちは根を上げ、その場を去って行った。 彼女の体はぼろぼろだった。顔は真っ赤に腫れ上がり、とても女の子には見えないような顔つきで、 体は殴られ、蹴られ続けて青あざでいっぱいだった。自分の力じゃ立つことすらできなくなっていて、声を出すのがやっとだった。 ぼろぼろで情けない彼女を見て、おさげの女の子は涙目に涙声で『ありがとう』と言い、彼女に肩を貸して保健室へと連れて行った。 体中から痛みが引いた気がした。 …気がした、だけで本当はまったく引いてなんかいなかったけれど、 その言葉を聞けたことへのうれしさで、痛みなんて吹き飛んでいたような気になっていた。 彼女は泣いた、さめざめと泣いた。泣きじゃくった。救われたような気がしたからだ。 自分と同じような目に遭っている子がこの学校に大勢いることを知ったのはそれからすぐのことだった。 それまでは、自分のことで精一杯で、ほかの子にかまっている余裕なんてなかったから、当然のことだ。 彼女はおさげの女の子が自分に向けたあの言葉をもう一度聞きたいと思った。 彼女はいじめられている子を見つけると、後先考えずに向かっていくようになったのはそれからだ。 勝つこともあったが、負けることのほうが多かった。負けることが悔しいことだと始めて知った。 彼女は厳しく、激しく自分を鍛えるようになった。負けないために、あの言葉をもう一度聞きたいがために。 いつしか、彼女は『いじめられっこをいじめっ子の魔の手から救う正義の味方』と言われるようになっていた。 たくさんの上級生相手でも一歩も引かず、殴られても蹴られても臆せずに、逃げずに相手に向かっていく姿は、 いじめられっ子たちの目には救世主のように見えたのだと思う。 彼女の周りに人が集まるようになった。いじめられていたあのころには想像もしなかったこと。 彼女は幸せになりました。とても、とても。」  桜田さんの話はここで途切れた。ぼくは次の言葉を待つが、彼女はそれ以上口を開こうとしない。 辺りに何とも言えない気まずい空気が流れる。 「あ、あの…。」 「でも、ある日彼女は気づいたの。その幸せには終わりがあることを。」 「あ…。」  ぼくが口を開いたその瞬間、彼女は再び口を開き、話を始めた。 「いじめっ子を倒して倒して倒し続けて、たちの悪い者を除いていじめっ子はほとんどいなくなった。 倒すべきいじめっ子がいなくなれば、ヒーローなんて、救世主なんて必要なくなってしまう。 それどころか、彼女は勝手気ままに暴力行為を行って回る危険な子として、一般生徒や先生はおろか、 助けた子たちにも恐れられてしまう。…いや、すでに一部の子からはそう思われていたの。 そして、もともと生粋のいじめられっ子だった彼女に、いじめられっ子以外からは恐怖の暴力女としか映らなかった彼女に、 友達なんて、できるはずがなかった。 一度、助けた子たちに助けを乞おうと考えたこともあった。しかし、彼らにとっての彼女の存在はまさに救世主。 友達になって、自分の弱いところを見せることなど、できるはずもなかった。 彼らにとって、わたしが強くて、誰にも負けないことこそが、いじめの恐怖に耐えうる唯一の方法だったから。 それに、みんな恐れ多いと思ってから、そういう話を切り出してくることもなかった。 彼女は急に恐ろしくなった。今まで自分が享受していた幸せが崩れ去ってしまうことに。 今自分の歩いている道が、こんなにも脆く、儚いものであったことに。 彼女は知恵を絞って精一杯考えた。自分がお払い箱にならない方法を、 自分がいじめっ子たちのヒーローであり続ける方法を。 …答えは簡単だった。 自分自身がいじめの火種を蒔いて、それが程よく育って燃え広がってきたところを刈り取り続ければいい。」 「…………!!」 「彼女はいじめの火種を学校中に撒き散らしては、広がりだした所でそれを刈り取る作業を行い続けた。 火種の種は、昔自分がされた仕打ちからのもあれば、『友達を作れない子たちの集まり』の中で聞いた話から作ったものもあった。 いじめという名の火を消すのは楽だったが、その火種を撒き散らすのはもっと楽だった。 あとはもう単純作業だ。自分でつけた火なのだから、その出所は自分が一番よく知っている。 何食わぬ顔で火の出所にやってきて、何食わぬ顔でその火を消してしまえばいい。そうすれば簡単に幸せが手に入る。 その幸せがいいことか悪いことかなんてことはどうでもよかった。それが永遠に続くのだから。 …それが、わたし。いじめっ子たちを倒して回って、正義のヒーロー面して校内を闊歩する女の子。 でも、その実態は滅ぼすべきいじめの火種を自ら率先して蒔いて回る自作自演の、つぎはぎだらけでぼろっぼろの女の子。それもわたし。 …おかしいよね?おかしいでしょ?そんなやつがどんな面して『君のそばにはわたしがいる』?自意識過剰も大概にしろって感じ。 便利よね?『がんばれ』って言葉は。自分は何もしないのに、相手を縛りつけて、しかも自分はその責務を全く負わない。 しかも相手に何かしてあげられた、って自己満足にもつながる。わたしも大好き。」  わけが、わからない。 …ぼくの目の前で背を向けて話すこの人は、本当にあの桜田 瞳璃さんなのか? あの白いだぼだぼな服、服の先からちらりと見える黒いスパッツ、さらさらとしたきれいな黒髪、女の子特有のいいにおい。 記号的には桜田さんその人だ。間違えようがない。凛とした後ろ姿が夕日に映えて、とても勇ましくて、かっこいい。 だが、ぼくはそれを桜田さんだと認識することができない、信じることができない。言っていることがめちゃくちゃだ。 …自作自演? …自己満足? …虚勢?見栄? わけのわからない単語がぼくの頭の中をぐるぐると回り、事態をますます意味不明なものにしてゆく。 しかし、そんな中でも、ひとつだけ彼女に聞いておきたいことがあった。どんなに頭が混乱していても聞いておきたかったことだ。 「なんで、そんな話をぼくにするんですか!?そんなことしたって、まるで意味がないじゃないですか。」  当然の疑問だ。ぼくにそんなことをしてなんになる。…告げ口を恐れているのだろうか。 ケンカになればぼくに勝ち目はない。そんなことをするような人ではないことは分かっていたが、 それでも体が恐怖に耐えかね、脳がぼくに身構えるよう命令を出す。 しかし、彼女のとった反応は、ぼくの予想とはまったく違ったものだった。 「決まってるじゃない。…わたしのこの姿を、この事実を、みんなに伝えてほしいから。それだけのこと。」 「え………ッ!?」  彼女は背を向けたままぼくの問いに答えた。さっきまでと同じだ。 だが、先ほどまでとは違うことがひとつある。彼女の声に生気と、深い悲しみを宿していたことだ。 そして、予想外だった。彼女が口にした理由が弁解ではなく、事実をみんなに伝えること、だったから。 「きみだけ、だったんだよ。わたしがどんなひどいことをしても、 あきらめずに、わたしの手も借りようとしないで、しかも『守る側から守られる側になりたい』なんて言う子は。 …最初はすぐにあきらめるだろうって思ってた。わたしに泣きついてきてくれるだろうって思ってた。 けど、君はあきらめるどころかわたしに泣きつくどころか、それに耐えて友達と二人でわたしを捕まえようとした。 そんな君たちを、いや君を見てて気づいたんだ。自分のしていることのばかばかしさを、ね…。」  ―――ふいに、彼女の声が少しくぐもる。 「…いっしょ、だったんだよね。わたしが一番嫌ってたいじめっ子たちと。 なんで気付かなかったんだろ。…いや、気づいてたんだよね、わたし。気付かないふりをしていただけ。 自分の幸せを、自分の居場所をなくしたくなかったから。」  ―――彼女は自分の肩を抱き、その場にしゃがみこむ。 「あーあ。わたしってなんで馬鹿なんだろう。みんなの笑顔が見たくて始めたことが、 いつの間にか他の子たちを苦しめてたなんてね。何が正義の味方よ…、何が弱い者の救世主よ…。 わたしなんて、わたしなんて…っ、いなくなっちゃえばいいんだ、消えちゃえばいいんだ!」  ―――もう、見ていられなかった。 ぼくは桜田さんの元に駆け寄り、彼女の体をぎゅっと抱きしめる。 肌のふんわりとした感触と、鼻孔を抜ける甘い香りが心地よかった。 …そして、ぼくは叫ぶ。 「だめだ!そんなの…だめに、決まってる!」 「なんで…?なんでよ!わたしなんて、わたしなんて…!!」  彼女がぼくの方を向く。案の定、彼女は目から大粒の涙を流しており、鼻水をすすっていた。 正直なところ、彼女を説得する自信はぼくにはない。でも、やらなければならない。 この学校で悩み苦しんでいるいじめられっ子たちのためにも、そして、彼女自身のためにも。 「だめ…というのは間違いかもしれません。じゃあ、そう…間違ってる、間違ってるんです!」 「間違ってる…!?何がよ!わたしのしてきたことが!?わたしの存在そのものが!? あぁ、もう!死んでやる!この階段の手すりから身を乗り出して…」 「ち、ちが…ちがいますよ!そういう意味ではなくて!えっと、その…、えぇと、あぁの…。」  考えろ…!考えろ!どうすれば彼女を立ち直らせることができるのか! どうすれば彼女の目からこぼれ落ちる涙を止めることができるのかを! しかし、焦れば焦るほど、思案をめぐらせればめぐらせるほど、その答えは頭の中で複雑に絡み合い、 どうすればいいのか、どうしていいのか、わからなくなっていった。 …桜田さんを思いとどまらせるための言葉を頭の中で必死になって探していると、 急に、抱きつくぼくを振りほどき、桜田さんが立ち上がった。 何があったかと思い、ぼくも立ち上がって彼女の見ている方向を向く。 「…やめてっ!やめてよぉ…っ!」 「てめぇ、ふざけやがって!何のつもりだ!あぁ!?」  下の階で何やら話し声が聞こえる。一方は儚げでか弱い声。もう一方は激しい口調でまくし立てる荒荒しい声。 階段の手すりから下の様子を見る。小さな女の子が、体の大きい男の子に壁まで追い詰められて罵声を浴び、 今にも泣き出しそうな表情でがたがたと震えている場面がそこにあった。 「てめぇ…よくも、俺が放課後、屋上でタバコ吸ってたことを先生あいつらにチクりやがったな! っざけんじゃねぇよ!あの後俺がどうなったと思ってんだ!親父ジジイお袋ババァにしこたま殴られて、 『お前には金輪際小遣いはやらん』なんてのたまわりやがったんだぞ!っざけんじゃねーッ!」 「でも、でもでも…、タバコ吸うの、悪いことだし。…それに、それにそれに、言ったのわたしじゃ…。」 「あぁ!?いまさらシラ切ってどうなるってんだよ!?俺の吸ってるところを見たの、お前だけじゃねーか! お前以外の!誰が!それをあいつらにチクれるってんだよ!オラ、言ってみろよ!言えるもんならな!」 「しらない、しらない…よぉ!!」  どうやら、タバコを吸っているところを咎められ、それを先生に知らせた子を腹いせにといじめているらしい。 …明らかな逆恨みだ。彼女には何の落ち度もない。ぼくは階段を駆け下り、彼らのもとに向かう。 相手はかなり大柄で目つきが悪く、強そうだ。でも問題ない。すぐそこにはあの桜田さんがいる。やられるわけがない。 しかし、ぼくが階段を降り、最後の一段に足をかけても、彼女は肩を抱えて震え、そこから一歩も動かなかった。 「何やってるんです桜田さん!早くしないとあの子が!…桜田さん!!」  下の彼女は男に服の襟首を掴まれて、いっぱいの涙を眼にため、そこには弁明の余地もない。絶体絶命だ。 今行ってやらないでいつ行くんだ。ぼくは桜田さんを急かすが、彼女はそこからぴくりとも動かない。 ぼくの言葉に耳を貸さない桜田さんに辟易していると、彼女は弱弱しく、とぎれとぎれな声で何かをぼそりと口にした。 「あの…こ、みなと、ちゃん。…みなと、ちゃん。」 「みなとちゃん?……。」  名前を言われて思い出した。そういえばそんな子もいたっけ。あの時、彼女が集めた手芸クラブの中で、 確か、三人組で、余り物の布やキルトで小さなぬいぐるみを作って桜田さんに渡していたっけ。 しかし、そんな名前が今さら出てきてなんだというんだ。ぼくがそう思っていると、 彼女が苦しそうに次の言葉を絞り出すようにして紡ぐ。 「あいつの…タバコのはなし…、先生に話したの…わたし。 あいつを陥れて、もう一度みなとちゃんをいじめさせようと考えたの…、わたし。…あぁ、あぁ…っ!!」  間が悪すぎた。いつもの桜田さんなら、何の疑問も罪悪感も持たず、颯爽と駆けつけて、 あのタバコ男に重い一撃をくれてやってたところだろう。しかし、今は違う。 自分のやっていたことが間違いだと気づき、今の桜田さんは心の底から絶望しているのだ。 おそらく、あの子の一件についても、自責の念に駆られてしまっているのだろう。動けないのも当然だ。 …ぼくの責任だ。こんなことになったのは、ぼくが彼女を精神的に追い詰めてしまったから。 ならばどうする?…やることはひとつだ。 「う、ぉおおおおおおおおっ!!」  ぼくは階段を駆け下り、みなとちゃんの襟首を掴む男に向かい体当たりをかました。 倒せないだろうけど、ひるんで隙を作り、彼女の手を引いて逃げ出すことぐらいはできるはず。そう思った。 …しかし、理想と現実は全く違った。彼はみなとちゃんから目線を逸らさず、 体当たりをしようとするぼくの左肩を右手で掴んで受け止め、勢いをつけてぼくを地面に叩きつけたのだ。 ぼくはうつ伏せになり、あごを軽く打って床に倒れこむ。あごの痛みはかなり強いが、今はそんなことなど問題ではない。 彼はぼくの背中を左足で体重をかけてぐりぐりと押し込みながら踏みつけ、嫌みったらしい口調で言う。 「…ばぁーか。上であんな声だしてて気づかねーやつがいるかっての。 んだよ、桜田クソやろうのマネごとのつもりかァ?相手見てからやるんだな。 てめぇみたいなチビ、俺に敵うと思ってんのか?あぁ!?ほら、ほら、言ってみろよ!何とか言えよ、コラ!!」  彼はさらに左足に掛ける体重を強め、ぐりぐりと押しつける。 背中だけではない、体中が痛みで悲鳴を上げる。涙よりも先に血が出そうな気がした。 抵抗しようともがいてみるも、背中を踏みつけられてしまったために、いくらもがいても彼に触ることすらできない。 頼みの綱の桜田さんは自責の念で動くことすらできない。万事休す、ってやつか。 ”―――中途半端に力をふるっても、やられてもっとひどい仕打ちを受ける”…か、まったくだ。 …そうだ、別にみなとちゃんも桜田さんも悪くない。考えなしにたちの悪いやつに向かっていったぼくが悪いんだ。 なにも気負うこともない、何も考えることもない。どうせ飽きたらやめてくれるんだから。あと少しの辛抱だ。 あと少しの、あと少しの……。 ぺちん。 …ふと、背中にかかっていたやつの力がゆるんだ。ぼくはなにが起きたかと思い、見上げる。 そこにあったのは、桜田さん……ではなく、先ほどまで恐怖に打ち震え、涙をいっぱいためていたみなとちゃんの姿だった。 彼女は涙をこらえ、鼻水をすする音混じりな声でやつに言う。 「そ、そそ…ずずっ。…そんなこと…っ、ずびっ。…わ、わたしが…ずず、ずっ。…ゆるひゃない!…ずず…っ。」  よく見ると、やつの頬がうっすら赤く染まっている。なるほど、今の音はみなとちゃんのビンタの音だったのか。 「て…めぇ!!」  ぷちん。…そんな音が実際にしたかどうかは分からないが、おそらく今のひとことで彼の中の何かが切れた。 と同時に彼は彼女を押し倒し、両ももで彼女の体を固定して、右こぶしを振りかぶった。 おそらく、そのまま彼女を何度も何度も殴りつけるのだろう。そんなこと、させるわけにはいかない! …しかし、そんな思いとは裏腹に、起き上がろうとしても体に力が入らない。…今まで踏みつけられていた痛みのせいだ。 「くそっ、こんな時にっ!動け!動けよぉッ!!」  気合いを入れて、自身の情けない腹筋や背筋に力を入れて必死に起き上がろうとする。 しかし、ぼくのこのどうしようもない体はびくともしない。どうすればいい…どうすればいいんだ! …突然、ぼくの周りがさっと暗くなった。今の今まで夕日が屋上を照らしていたはずだ。日の入りにはまだ早い。 月食なのか?…いや、そんな話は聞いていない。 突然の通り雨か?…だったら雨音がぼくの耳に届くはずだ。そんなものは全く聞こえない。 じゃあ…、これは一体何事だ?なんだというのだ!?  異変に気づいたのは、みなとちゃんに今まさに襲いかからんとするやつも一緒だった。 この怪異を疑問に思い、彼もまた視線を上に向ける。 ―――彼が意識を失う前に見た最後の光景は、黒いスパッツの股先と、白い上履きの、その靴底だった。  ぼくたちを覆う黒い影の正体は、誰でもない桜田 瞳璃さんその人だった。 信じられない話ではあるが、十二段ある階段の、その一番上からジャンプし、彼の顔目掛けて飛び蹴りを見舞ったらしい。 そんなものをじかに喰らった彼の顔がどうなったのか…、興味はあるが、見る勇気はぼくにはなかった。 なにがなんだか分からず、目を白黒させて仰向けに寝そべっているみなとちゃんを置いて、 ぼくはうまく着地できなくてうずくまる桜田さんの元に駆け寄った。 「…桜田さん!桜田さん!大丈夫ですか!?」 「あ、あぁ…うぅ…………。カロン、くん、か。…わたしは、大丈夫。…みなとちゃんは?」 「無事ですよ。でも、なんで桜田さんが……。」  その問いに、桜田さんは戸惑いつつ答える。 「そう…、だね…。なんて、いうのかな。みなとちゃんが…、あのタバコ男にビンタして、 それで馬乗りにされたとき、わたしの中で何かがぷちん、って切れたのかな。…だからだと、思う。」 「そう、だったんですか。…さすが、ですね。桜田さんは。」 「…それよりも。教えて、くれないかな。わたしのどこが、間違っているのか。」 「えっ!?あぁ、それは………。」  唐突に、先ほどしていた”間違い”の話に話題が戻る。さっきまではどう答えていいのか分からなかった。 でも、今はその答えを説明できるような気がする。そう思ったとき、すでにぼくの口は言葉を紡いでいた。 「…やっぱり、桜田さんはどこまでいってもいじめられっ子たちの救世主なんです。 強きをくじき、弱きを助ける、テレビに出てくるみたいなヒーローそのまんまなんです。 だから、だからこそ、いなくなればいいなんてことは、間違っていると思うんです。」 「…なんで?」 「みなとちゃんがなんであんなことをしたか、分かりませんか? 強くてやさしい、救世主でヒーローな桜田さんが大好きで、尊敬してて、自分もそうありたいと思ったから、なんですよ。」  …正直なところ、みなとちゃんがそこまで考えていたかどうかは分からない。けど、 「でなきゃ、今自分を泣かそうとしていたような怖い奴相手にビンタなんて…するはずないじゃないですか。 桜田さんの言うことが、やっていることがみんなに伝わったんですよ。 みなとちゃんやぼくだけじゃない。森元くんや手芸クラブの子たちだって、そう思っているはずです。 …桜田さんみたいになりたいって、桜田さんのために何かしたいって。 たしかに、桜田さんのやっていたことは許されることじゃないかもしれない。…けど、そこから逃げちゃいけないんです。 許されないことなら、償いきれないことなら、背負って生きるしかない。 少なくとも、ぼくが見てきたテレビのヒーローは、たとえ倒した相手が本当はいい人だったとしても、 悩みこそすれ、それだけでヒーローであることを捨てたヒーローはいませんでした。 どんな悩みや苦悩があっても、それを乗り越えて、やせ我慢でも空元気でも強くあろうとする。 だって、ヒーローである自分が折れてしまったら、自分を慕ってくれる人たちも、みんな折れてしまうから。 桜田さんは…どう、なんですか?」  彼女は、ゆっくりと体を起こすと、ぼくの顔を見て、言う。 その瞳には先ほどまでの憔悴した弱弱しさは残っておらず、初めて会ったときの、あの澄んだ瑠璃色の輝きが戻っていた。 「…わたしをテレビのヒーローと同じに語らないで。わたしはそんなに強くないよ。 でも、やらなきゃ…いけないのよね?別に望んでなったわけじゃないけど、自分から名乗った覚えもないけど。」 「そうです。でも、ぼくは『がんばって』とは言いませんよ。いや、きっとぼくだけじゃなく、みんなだって。 …言うときはきっと、こう。がんばって。『みんながついてるから、ひとりなんかじゃないから』って。」 「…がんばろうって、一緒じゃない。…ヒーローってのも楽じゃ、ないよね。 ………わたしのやってること、決して簡単なことじゃないよ?わかってるの?」 「わかってますよ。でも、ぼくたちはひとりじゃない。みんなが、桜田さんのことを慕うみんなが一緒ですから。 同じことはできなくっても、その手伝いや心の支えにはなれると、思います。」 「………そっ、か。」  ―――笑った。彼女が笑ってくれた。今までと同じ、いや、それ以上にまぶしい笑顔だ。 きっと、ぼくが指摘する前から彼女は気づいていたのだろう。自分のしていたことへの罪悪感に。矛盾に。 彼女はそれを押し殺して、目を背けて、今ある幸せを守ろうとしていたんだ。 だからこそ、それが重荷となって、足かせとなって、彼女の心に傷を残していたんだろう。 でも、今の彼女にそんな重荷や足かせはない。全て捨て去ることができたのだから。 そんな桜田さんの屈託のない笑顔を見て、ぼくは彼女のことが好きだったんだなぁ、と今一度自覚した。 かつて、彼女をいじめていた連中の気持ちが少しだけ、分かる気がする。 こんなに笑顔の似合う素敵な女の子、いい意味でも悪い意味でも、クラスメイトがほおっておくわけがない。 彼女があれほどふさぎこんでしまったのは、きっと悪い意味で受け取る人間の方が多くて、 いい意味で彼女を見てくれる人がその中に巻き込まれていってしまったから、なのだろう。 …このことは桜田さんには言わないでおこう。ぼくだけの、ひみつだ。
「あ、あのう……。」 「なぁに…って!さ、桜田…さん!?わ、わわわ…私たちに、な、な、な…何か、ごようっ!?」 (…ねぇ、南君。やっぱりダメなんじゃないかなぁ。桜田さんに、普通の友達、って…。) (ダメなわけない!桜田さんだよ!?他の誰でもない、あの!桜田さんだよ!できないはず、ないよ!) (そう、かなぁ。…相手の子、すごく焦ってビビってるよ。難しいんじゃ…)  桜田さんは今、友達を作ろうと頑張っている。 元が相当ないじめられっ子で、今はいじめっ子たちを震え上がらせる暴力っ子だ。その道はとても険しい。 最初は、ぼくが友達になると言った。しかし彼女は、 『気持ちはとってもうれしいけど、それじゃあ意味がないの。…自分の力で作らなくっちゃね』と言ってきかなかった。 自分で言っておいて何だが、確かにそうだなと納得した。仲間内で友達を作っても、彼女のイメージは何も変わらない。 それに、桜田さんからしても、その関係が果たして友達といえるのかどうか、分からなくなってしまうのだろう。 ぼくたちはただ、そんな桜田さんを見守ることしかできない。言えども言えども断られるその姿を見て、 何度も手を差し伸べてあげたいとは思うけれども、ぼくも森元くんも歯をぎっと食いしばってそれを見守る。 大丈夫、桜田さんならきっとできる。みんなの笑顔の、幸せのために戦い、守ることのできた桜田さんなら。 …そう、心の中で何度も何度もつぶやきながら。 「あっ、あっ、あっ…あぁぁぁああのののののっ!おっ、おっ…おともだちにっ!なって、くださいっ!!
かー、なー、りー、夢想で、絶対ありえねー展開な小説。正直コメットさん系列に並べるべきではないのかもしれません。 (カロンはでるけど、星力は使わないし…。) 自分の書く小説の多くは『コメットさん☆』作中の出来事ということにしているのですが、 これだけは、完全なパラレルワールドってことにしてくださるとありがたいです。 にしても桜田とカロンのセリフ長いわー。ひとつのセリフが平均して10〜15行ってどうよ。どうなのよ。 しかしこれでも、省略に省略を重ねてできた産物だってものだから驚き(主に筆者が)。 わざわざここまで読んでくださった方(読み飛ばしてくださった方含む)には本気で感謝です。ありがとうございます。 とりあえず、地の文なしで主人公の語りオンリー小説がこんなに長くなるとは思ってもいませんでした。 きっと次回以降は使われないかと思われます。しんどい。 やたらとながーくなってしまいましたが、お付き合いいただき、誠にありがとうございました。 この場を借りてお礼をさせていただきます。
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