小説・子ども心と夏の空
うだるような暑さの夏のある日。藤吉家のリビングでは、沙也加ママとツヨシくんとネネちゃんが暑さを紛らわす為、
扇風機に当たりながら、テレビを見ていました。しかし所詮扇風機の微弱な風。4歳のネネちゃんが納得するはずはありません。
そのうちに耐え切れなくなった二人は、沙也加ママに問います。
「う〜…あつい。ねぇママ。なんで扇風機なの?クーラーつかおーよ、くーらー。」
「ダメダメ。朝からクーラーなんて。ただでさえ地球温暖化だのなんだのって言われてるんだから。
クーラーみたいな冷房に頼りっきりになってたら、地球はどんどん暑くなってって、最後に困るのはネネたちなのよ?」
「えー。そんなのママがお金つかいたくないだけじゃーん!」
「そうだよー。それにうちだけそんなことやってもぜんぜん暑いの変わらないじゃん!」
沙也加ママは地球温暖化を例に取り、二人を諭そうとしますが、4歳児にこの理屈は馬の耳に念仏。
反発するのは目に見えていました。沙也加ママは少し考え、今度はこう言います。
「へ〜…。もったいない事言うのねー。二人とも。」
「もったいない?」
「もったいないわよ。だって、私達は地球温暖化を防ぐお手伝いをしているのよ。
日曜日の朝にやってるヒーローみたいに地球を守る地球防衛軍…みたいな活動をしてるっていうのに…。
ツヨシもネネもそういうヒーローにはなりたくないのかなー?」
沙也加ママは分かったような分からないような理屈で二人をなだめようとしました。
”ヒーロー”というたぐいの単語を交えて話したのが効いたのか、二人は目を輝かせて言います。
「ヒーロー!?ツヨシくんヒーローになれるの?」
「ネネちゃんも!?」
「そうよ。…だから、扇風機でガマンしましょうね。地球防衛軍のお二人さん。」
「うん!ツヨシくんガマンするー。」
「ネネちゃんもガマンするー。」
「はいはい、頑張ってね。(ふぅ。これでようやく落ち着いたかしら……。)……ん?」
ようやく事態が収拾できたと、安堵の表情を浮かべる沙也加ママ。しかし……。
「…よぉーし!ツヨシくんがレッドやるー!」
「あー、ツヨシくんずるいー!ネネちゃんがレッドやるのー!」
「ダメ!女はピンクかイエローかブルー!」
「あー、ひどーい!ツヨシくん女を差別したー!」
「……ふぅ。 こら、二人とも!そんな事でケンカしない!…もーっとお部屋が暑くなるわよ。」
「…はぁい。」
「はぁい。」
---……それでは、次のニュースです。
「……あ、ニュースやってる。」
「あぁ、そういえばテレビつけてたの忘れてたわね。…もう芸能情報も終わっちゃったのかしら。」
---…昨夜未明、鎌倉市で起きていた連続児童誘拐殺人事件の犯人が逮捕されました。
犯人の男は”いいものあげるからこっちにおいで”などと言って巧みに誘い、
誘拐して自分の家に連れ込んだり、近くの山に連れて行って殺し、山の中に埋めるなどの行為を連続して行っていたようです。
調べに対し、男は”幸せそうな子供を見ているのが我慢できなくなって殺した”と供述しています。
「うぅ〜…こわーい。」
「大丈夫よ。もう捕まってるみたいだし…。でも、最近はこういう危ない人がたくさんいるから、
ツヨシもネネも、暗くなる前に家に帰ってくるのよ。」
「はーい!」
「はーい!」
「はい、いいお返事ね。」
ちょっとしたいざこざも、簡単なやりとりで収拾するいつもの風景。しかし、この日はほんの少しだけいつもとは違いました。
その発端は、このニュースの後に流れた、あるコーナーがきっかけでした。
---…それでは、地域関連のこまごまとしたニュースを。…最近、有名なゲーム「ムシキング」の影響か、
子供大人問わず、カブトムシブームが再燃しているそうです。
デパートなどではカブトムシ、クワガタムシ、カナブンなどが高値で販売され、あまりの人気ぶりに品薄となり、
最近では一般から買取を行う店舗も増えてきた、とのことです。
「ママー、カブトムシだって。」
「へぇ〜、カブトムシがこんな値段で売買されてるなんて…。うちの店にも置いたら高値で売れるかしら、カブトムシ。
……はっ、まさか…最近夕方になるとウチの裏からがさがざ音が聞こえてくるのって……。」
「…………。」
まぁ、普通の対応でそのニュースの事を話し合う沙也加ママとネネちゃん。しかし、ツヨシくんだけは、
テレビの画面を無言のままじっと見つめていました。そして程なくして、リビングを出て、部屋の奥へと行ってしまいました。
「…?ツヨシ、どうしたの?」
沙也加ママの返答にツヨシくんは答えません。そして、上の階では、どたどた、がたがた…という音だけが聞こえてきます。
「ツヨシくん、何やってるんだろ。」
「何か探してるのかしら。でも何を……まさか!」
沙也加ママははっとして、部屋の奥に行こうとします。しかし、それと時を同じくして、ツヨシくんはリビングに戻ってきました。
かーぶーと狩りじゃあー!
ツヨシくんは二人の前で大声でそう叫びました。頭には、サイズがちょっと大きくて目が隠れてしまう麦わら帽子をかぶり、
肩に緑の縁取りの小さな虫かごをかけ、虫取り網を持ち、まさに"俺は虫取りに行って来るぞ”というような面持ちと格好でした。
ふたりはあっけにとられ、少し間をおいてから彼に問います。
「ツヨシ…何?そのかっこ。」
「ツヨシくんはかぶと狩りに行こうと思います。だからその用意。」
「いや、それは、あなたの格好を見れば分かるけど……、なんで、また?」
「だって…カブトムシ捕まえたら、お店で買ってくれるんでしょ?そのお金でおもちゃ買うんだー!」
「……うぅん。ま、間違ってはないんだけど……。
でもあなた、どこでカブトムシを捕まえに行くつもりなの?」
「とーぜん!藤吉王国に決まってるでしょ!おーこく!」
「やめたほうがいいんじゃない?最近ウチの裏でガザガザ音がしたり、へんな声がするの、ツヨシも知ってるでしょ?
多分、カブトムシに目をつけた人たちが夜な夜な捕りに来てるのよ。
今更行ったっていないか…いてもちっちゃいカブトムシしかいないかもね。」
「おっきくないとお店でも買ってくれないんだよー?そうだったらどうするの?」
「そしたら…家で飼うからいいもーん。ツヨシ2号!」
「カブトムシカブトムシって…森に行かなくても台所を探したらいるんじゃないの?かさかさ動くの。」
「ネネちゃん、それカブトムシじゃない。」
「ネネ…それは『甲虫の王者』じゃなくて、『台所の王者』よ。…あまり会いたくない部類の虫。」
「そうなの?」
「…じゃあ行って来るね。おっきなカブトムシ捕まえてくるから!」
「はいはい。…暗くなる前に帰ってくるのよ。」
ツヨシくんは勇んで出かけようと…するはずでしたが、程なくして後ろを振り向き、
「…行って来るよ!」
「うん、知ってる。がんばってねー。」
「…行って来るよー!」
「だから知ってるって。…ツヨシくんどうしたの?」
「……だれも…ついてきてくれないの?」
どうやらツヨシくんは誰もついてきてくれないことが不満だったようです。
「そりゃあ、あなたが言い出した事だもの。それにママもお仕事があるし。」
「ネネちゃんはカブトムシ嫌いだから、いや。」
「むぅ。……コメットさんは?」
「ツヨシが起きる前に、バトンクラブの集まりで出かけちゃってるわ。」
「……パパは?」
「珍しくお仕事で出かけちゃってるからいないわよ。」
沙也加ママは、少々苦々しい口調で言いました。ツヨシくん一瞬は不安そうな顔をしますが、すぐに立ち直って…。
「……………ふ、ふーんだ!ツヨシくん手伝いがいなくたって行けるもん!絶対おっきなカブトムシ捕ってきてやるんだーっ!」
ツヨシくんは半ば怒って家を出てゆきました。果たしてカブトムシは見つかるのでしょうか。
「…行っちゃった。ツヨシくん大丈夫かなぁ。」
と、ネネちゃんがツヨシくんを心配し出したそのとき、いきなりドアを開けて、ツヨシくんがまた戻ってきました。
「あ、ツヨシくんもどってきた。」
「どうしたの?カブトムシ捕りに行くんじゃなかったの?」
「…………。」
「…?」
*
藤吉家から電車やバスなどを乗り継いで…ではなく、沙也加ママの運転する車に乗せてもらい20分ほど。
ツヨシくんは家の裏山でカブトムシを捕るのをやめ、そこよりも少し遠くにある山へと連れて行ってもらったのでした。
「はい、着きました。…森の中はカブトムシ以外にもたくさん虫やら動物がいるから気をつけるのよ。
それと…はい。お弁当。」
「ありがと、ママ。…じゃ、行って来るねー!絶対おっきなカブトムシを捕ってくるからー!」
「でもツヨシ…本当に一人でいいの?ママがついてなくて…。」
「だいじょうぶ!ツヨシくん絶対カブトムシ採って来るから!」
「そう…?あぁ、暗くなる前に山から出るのよー!…って、聞いてない…か。大丈夫かしら…。」
沙也加ママは、軽い足取りで山の中に入ってゆくツヨシくんを不安な心境で見つめていました。
山の中は生い茂る木と、地面が出す熱気のため、木陰にいても少し汗をかくほどの暑さでした。
じじじじじー…みーん、みんみんみん…、しゃー、しゃー、しゃー。暑い中でも懸命鳴き続けるセミの鳴き声も、
より暑さを助長しているように感じます。最初は意気揚々に森の中を歩いていたツヨシくんでしたが、
次第にその暑さに耐え切れなくなり、あまり変わりはしませんが、とりあえず木陰に逃げることにしたようです。
「う〜…あつい、あついー!森の中がこんなに暑いなんてツヨシくん知らなかったーっ!!
それにカブトムシ全然いないし…。周りの木にはセミばっかだし…。もうみぃーんな捕られちゃったのかなぁ?」
まだ日は高く、セミの声が鳴り響くこんな時間帯。カブトムシがいないのは当たり前なのですが、
そんなことを知らないツヨシくんは、木陰の下で弱音を吐いてしまいました。
「どうしよう…。もう帰ろっかなぁ。…ダメダメダメ!みんなにおっきなカブトムシ捕ってくるっていったんだもん!
ツヨシくんあきらめないよ!みんなをギャフンといわせてやるんだ!」
ツヨシくんは一人でそういって気合を入れると、周りの木を見回し始めました。
暑い中必死になって探すよりも、あまり暑くない木陰の中で、遠くの木を見ている方が楽だと判断したのでしょう。
すると、普通ならありえない光景がツヨシくんの目に止まりました。
「……んん?あ、あれは……!!」
ツヨシくん側から見て左側にあるそう遠くない、葉が青々と茂った大きな木。そこから何か大きくて黒いものが、
わさわさとしながら少しづつ木の上の方へと登ってゆくのです。…ツヨシくんから見て、それは…。
「あ、あれは…あれは…おっ、おっきなカブトムシー!!」
カブトムシ以外の何者でもなかったのです。ツヨシくんは暑さも忘れ、その木のある場所まで走り、
その木を蹴って揺らし始めました。
「かーぶーとーがーりーじゃあー!せいっ!せいっ!せいやぁー!……はぁ、はぁ、はぁ…。」
「きゃああああ」
ずどーん。大きな音を立て、その大きくて黒いものは木からずり落ちてきました。
「やったぁー!でっかいカブトムシー!!これでたくさんお金……あれ、今『きゃあ』って声が……。」
ツヨシくんは大きなカブトムシ(らしきもの)を捕らえたことを大いに喜びます。
しかし、それと同時に、ある種の疑問が彼の頭をよぎりました。それは、その大きくて黒いものが木からずり落ちた瞬間、
かすかに女の子の声で「きゃあ」という声が聞こえたからです。
「…なんだったんだろ、今の…。ま、いっか。おっきなカブトムシ、とったどぉぉぉお!これでなんでもか……。」
とりあえずツヨシくんはそれらの疑問を払拭し、捕らえたカブトムシの顔辺りに目線を移します。
しかし、そこで予期せぬ事態が発生しました。何故なら、そのカブトムシは……。
「痛たたたたたたた〜…っ。もうマジ痛い。すごく痛い。あ〜、もう…コブになってるのかな、これ……。」
「……!?!?!?!?!?」
ツヨシくんが捕らえたこの大きくて黒いもの。…カブトムシなんかではありませんでした。
色、つや、そのものの形状こそカブトムシそのものだったのですが、普通のカブトムシとは明らかに違う点が2つあったのです。
一つは、その大きさがツヨシくんよりも一回りほど大きかったこと。そして、もう一つは…。
「か、かか…………カブトムシの中から…お、お、お…女の子が…出てきた……う、うわああああああああああ!!」
もう一つは……カブトムシの顔のあるべき部分に、メガネをかけた女の子の顔があったことでした。
ツヨシくんはあまりの恐ろしさに、後ろ向きに走って逃げました。しかし…。
「に、にげろぉぉおおおお!!! あぐっ!……きゅう。」
後ろ向きでも、逃げようとしたことは賢明な選択だったのかもしれません。しかし、彼は後ろ向きに走るあまり、
自分の走っている方向に木があったことに気づくことが出来ず、その木の幹に後頭部をぶつけて気絶してしまいました。
「………!?!? え、あ…あの…。だ、だ、大丈夫、君!?!?」
…それからどれくらい経ったのでしょうか。目を覚ますとツヨシくんは、どこかの木陰の中、
しかも誰かにひざまくらされていた事に気づきました。ツヨシくんははっと目を覚まし起き上がります。
「こ、ここは……。」
「…あぁ!やっと気がついた。大丈夫、君……。」
「う、うん。へーき。…って、うわあああ!さ、さっきの女の子!!」
ツヨシくんを介抱していたのは、さっきカブトムシの中から顔を出していた女の子でした。
小麦色の髪に、赤渕のメガネをかけ、花柄のワンピースを着た…体型や表情のあどけなさから推測するに、
コメットさんと同年代ぐらいの可愛い女の子でした。しかし、ツヨシくんはそんな事など察する暇などなく、
”カブトムシの中から顔を出していた”という恐ろしい記憶につき動かされ、とっさに飛び退き、身構えます。
女の子はそんなツヨシくんをなだめるように言います。
「あ、あ、あ…そ、そんなに怖がらなくいいよ。…あれは確かにあたしが悪かった。ごめんね。」
「……お、おねえちゃん…な、なんでカブトムシの中に……。」
「あれ…か。今事情を説明するから…とりあえず落ち着いて。ね?ね?」
「う、うん……。」
彼女は、怯えるツヨシくんに”何故あのような行為を行っていたのか”ということを説明しました。
「ふぅん…じゃあおねえちゃんもカブトムシ探してたの?」
「そ。…弟が「甲虫の王者」…えっと…、なんだっけ?まぁいいか。その、なんとかが大好きだからさ〜、
捕まえて持ってってあげれば元気になるかな、って思って。」
「へぇ…でも、なんであんなカッコしてたの?」
「あぁ、あれ?あれは………カブトムシと同じカッコして木に登ればさ、あっちもつられて寄って来るかな〜って思って。
あは、ダメ…かな?」
「……おねえちゃん、頭いい!ツヨシくんそんなの考え付かなかった!」
「え…?そう?ホントに?ホントにそう思う?
……そうよね!やっぱりそうよね!みんな『そんな方法で捕まるもんか』って言ってたけど…。
やっぱりこの方法、斬新で効くと思うでしょ?でしょ? 」
「うん!…ちょっと疲れそうだけど。」
「あっは。君とは気も話も合うね。あたしは「渡瀬 千雨」(わたらせ ちさめ)。この辺の〜…えっと、どこだったかなぁ?
…あっ、思い出した。潮騒小学校の6年生、よろしくね。…君は?」
「ツヨシくん?ツヨシくんは…えっと……。」
「ツヨシくんね。分かった、よろしく。…あ、そうだ、ツヨシくん。せっかくだから一緒にカブトムシ探ししない?
目指す目的が一緒なら、協力してやった方が楽に捕まると思うし?どう?この考え?」
「…うん!一緒に探そ、千雨おねえちゃん!」
「え〜っと…あ〜…。千雨なんてまどろっこしい言い方しなくていいよ。あたしのことはちうでいいよ。
家族にもクラスの友達にもそう言われてるし。」
「ふぅん。…じゃ、一緒に頑張ろう、ちうおねえちゃん!」
*
ツヨシくんは、千雨という少女と協力して、森の中を駆けずり回りました。
ツヨシくんは手当たり次第虫のいる木に虫取り網を当てて、千雨はさっきのカブトムシの着ぐるみ(らしきもの)を着て、
ひたすら様々な木に登り、じーっとしていました。…しかし、まだまだ日は高く、カブトムシなど出てくるはずがありません。
二人は最初こそノリノリで探索していましたが、次第に暑さでふらふらになってきて、
そろそろ日が落ちて夕方になりそう…というぐらいの頃には、暑さでほてり、息を切らしてへとへとに…と言った状態になっていました。
遠くの方では、ひぐらしのかなかなかなかなー…という鳴き声が寂しげに鳴り響いていました。
二人は森の中でもひときわ大きい木の幹の辺りに腰を下ろして休んでいます。
「はー…。全然カブトムシ見つからない……。ちうおねえちゃん、そっちは?」
「うー……。こっちもダメ。…何がおかしいのかしらね?これだけ完璧な布陣を敷いてカブトムシを捕まえようとしているのに…。
あー、もう嫌っ。汗が出て出て…脱水なんとかになりそう…。」
散々な戦跡に、二人は気落ちしてがっくりしてしまいました。そんな中、ツヨシくんはふと、千雨にこんな質問をしました。
「……ねぇ、ちうおねえちゃん。なんでこんなに大変な思いをしてまで、カブトムシを捕ろうとしてるの?」
千雨は、少し考えてからツヨシくんに返答します。
「…それ、か。……実はね。あたしの弟…病気で近くの病院に入院してるの。…結構重い病気らしくてさ。
それで、その病気を治すために今度手術することが決まったんだけど、あいつ、手術を怖がってて……。
あたし、あんまり弟の事は好きじゃないんだけどね。口は悪いし、イタズラ好きだし、お母さんの言う事は聞かないわで…。
それでも…あたしにとっては大切な家族だから…死んでほしくないと思ってる。
それであいつ、『カブトムシ捕ってきてくれたら手術する!』なーんて言うわけ。…バカげてると思うでしょ?
お店で買って済ませれば済む事だったんだろうけど、今はカブトムシ自体も流行っててどこ行っても見つからないし…。」
「だから…ちうおねえちゃんは……。」
「あ、あは。暗い雰囲気にさせちゃってごめんね。…あ、もうこんなに日が落ちてる。君も帰ったほうが」
ツヨシくんは、千雨が言い終わらないうちに、すっくと立ち上がり、千雨の顔の近くで言います。
「…ツヨシくんやる!絶対カブトムシ捕まえてみせる!そして…ちうおねえちゃんの弟にプレゼントする!」
「え……!?い、いいよ…。君だってカブトムシ欲しいんでしょ?」
「ううん。ツヨシくん助ける!ちうおねえちゃんの弟助ける!カブトムシをその弟にあげれば手術してくれるんでしょ?
ツヨシくん絶対カブトムシ見つける!それでちうおねえちゃんの弟が助かるんなら!」
「ツヨシくん……ありがとう。そうだね、そうだよね。まだあきらめちゃ…ダメだよね。」
「うん!一緒に頑張ろ! ………ん?」
「…どうしたの?」
「あれ…あの木…。」
「『あの木』?…あっ!」
千雨はツヨシくんに言われ、ツヨシくんが指し示した方角の木を見ます。すると、そこには…
「か…カブトムシ!しかもかなり大きい!」
「えー?全然小さくない?ちうおねえちゃんの着ぐるみぐらい大きくないと」
「いや、あのね…あたしもバカやってたと思うけどさ…あんな大きなカブトムシいないから。」
そこにはカブトムシが、木から染み出した樹液を吸っていました。大きさは…だいたい8cmほどはあるのでしょうか。かなり大きいです。
「でも、どうしようか…。ここからあそこの木まで大体5m。網で捕まえるとなると、やっぱり正面から行くしかない…か。」
「うん。よぉし!早く行こう!」
「待って。…うかつに近寄っちゃダメ!相手はカブトムシよ!虫よ!?常に狩られるという宿命を持ってるのよ!?
普通に近寄ってもすぐに飛んで逃げちゃうわ!」
「じゃあ…どうするの?ツヨシくんじゃあ、あのカブトムシがいるところまで届かないよ。」
「う〜ん………。…そうだ!」
「……ねぇ、本当にやるの?これ……。」
「当然!…大丈夫、あたしを信じて! まずあたしがあの木まで走って接近!そして君をあたしが投げて、
そのまま網でカブトムシを捕まえるの!いい!?できる!?」
「え、ぇえええええええ……。」
千雨が出したあまりに奇抜な策に、ツヨシくんは困惑します。
「えー。じゃない!君もカブトムシ欲しいんでしょ!?ほら、勇気出して!
大丈夫よ。ちゃんと捕まえたら、あたしがあなたをキャッチしてあげるから。」
「うー…。わ、わかったよ!やる!」
「よーし!じゃ、あたしの肩に乗って!」
「うん。よいしょ…っ。あ、あれ…?」
ツヨシくんは千雨の肩に乗っかり、肩車状態になりました。しかし、そこでツヨシくんはある違和感を感じたのです。
(…なんだろ?ちうおねえちゃんの体…ちょっと冷たい……。)
「…どうかしたの?やっぱりまだ怖い?」
「う…ううん!平気へーき!さ、やろう!」
「よーしよく言った!それじゃあ…行くよ!おりゃあああああああああ」
千雨は、ツヨシくんを肩車したまま、ものすごいスピードでカブトムシのいる木まで疾走しました。
とても小学生だとは思えないほどのスピードに、ツヨシくんは戸惑いと恐怖を隠せません。
「うわああああああちうおねえちゃん早すぎ」
「…ほら、今よ!ジャン…げふっ!」
「え……!?うげあ!!」
…ものすごいスピードで木まで疾走した、所まではよかったのですが…。スピードがありすぎたせいか、
千雨はその木に正面からぶつかり、その反動でツヨシくんも…。二人はそのまま頭から地面に倒れてしまいました。
「い、いだだだだだだだだだだ……。はっ、だ、大丈夫…!?」
「う、うぅう…う。…痛い……。」
「ごっ、ごめんね…あたしが変な事思いついたばっかりに…。カブトムシも…逃げちゃったみたいだし。」
「だ、大丈夫…。それに、これ見て。」
「『これ』?…あっ!」
ツヨシくんの網の中にはカブトムシが入っていました。どうやら倒れるまでのわずかな間に、
ツヨシくんは網でカブトムシを捕獲し、そのまま落ちていったのでしょう。
カブトムシは網の中でじたばたと脚を動かしています。ツヨシくんはすかさず持っていた虫かごにカブトムシを入れました。
「や…やった!やったよちうおねえちゃん!カブトムシとったどー!!」
「うん!よく頑張った!あたしもうダメかと思ったよー。」
「ふふ〜ん、やった!やった!やったー!!」
ツヨシくんは疲れたのも忘れ、虫かごを持って小躍りしながら喜んでいました。
そんなツヨシくんの様子を千雨は何かと重ね合わせるような感じで見ていました。
「ねーちゃーん!ほらほら、見てみて!捕まえたよー!」
「おー。あんたにしちゃよくやったね。でもあんまりはしゃぐんじゃないよ、あんたまだ病気で…。」
「んもう!いいじゃんそれぐら…あっ!!」
「…っと!もう!だからはしゃぐなって言ったでしょ!?」
「…ちうおねえちゃん、どうしたの?」
「………あ。あぁ…なんでもない。」
「それで…はいっ。これ…ちうおねえちゃんの弟に…。」
ツヨシくんは、少しためらいながらも、千雨にカブトムシの入った虫かごを渡しました。しかし千雨は目を閉じてふっと笑うと…。
「ううん。…これは君にあげる。」
「え…?ちうおねえちゃんの弟はどうするの?これをもって帰れば弟は……。」
「そうだね。これであいつも手術してもいいって言うだろうね。
でも大丈夫、君のその気持ちだけで十分。それに…あたし、もう行けないから……。」
千雨は悲しそうな目でぼそっとそう漏らしました。ツヨシくんはびっくりして聞き返します。
「え!?そ、それって…どういうこと!」
「……あー、うん。なんでもない。…さ、カブトムシも捕まったんだし、早く帰りなよ。
ほら…最近は物騒だからさ、なんでも子供を専門に狙う変な奴もいるぐらいだし。君みたいな可愛い子はすぐに狙われちゃうよ?」
「…大丈夫だよ。だって、その犯人、捕まっちゃったって言ってたもん。ニュースで。」
「え………っ!?」
「…………?」
ツヨシくんの何気ない発言で、千雨は突然言葉を失いました。ツヨシくんは心配な面持ちで千雨を見つめます。
「どうしたのちうおねえちゃん。いきなりだまっちゃって。」
「…………………………そっか。捕まったんだ…犯人。よっ、よかったね!これでもう誰も危ない目に遭うこともないんだね!
これで…誰も…だれ…も………。」
「!?ど、どうしたのちうおねえちゃん!いきなり泣いちゃって…ツヨシくん何か悪いこと言った!?」
「あれ…?おかしいな…?なんであたし…泣いてるんだろ?おっかしいな〜…あは、あははは…は。
さ、さ!もう本当に暗くなっちゃったから、早くお家に帰りなよツヨシくん。ほら、あたしも途中までついてってあげるから。」
「う、うん……。」
こうして二人は、森を後にしました。森の中では昼間とはまた違った様々な音が聞こえてきます。
陽のない夜に響くそのおどおどしい音は、幼いツヨシくんを不安にさせます。ツヨシくんは不安になって、千雨の服をぎゅっとつかみます。
日が落ちたとはいえ、まだまだ暑かったので、千雨の体のひんやりとした感触は、少しぞっとするけれど、心地の良いものでした。
「こわいよぅ…。」
「大丈夫大丈夫。あたしがついてる。二人なら…大丈夫。それに君、男の子でしょ?勇気だして。」
「う、うん。」
そしてそれから数十分後。二人はようやく森の入り口に辿り着きました。ツヨシくんは途端に元気になりだします。
「はー!やっと出られたー。怖かったよぉ…。」
「うん、よく頑張った。…じゃあねツヨシくん。今日はどうもありがとう。」
「うん!ちうおねえちゃんこそ。ばいばーい!」
ツヨシくんは手を振って千雨に挨拶し、意気揚々に駆けて行ってしまいました。
千雨は、そんなツヨシくんを、まるで我が子を見るお母さんのような目つきで見守ります。
「ツヨシくん………。弟みたいな子だったな。…あいつ、大丈夫かな。ちゃんと手術受けてるかな…。」
*
それから数時間後の藤吉家。日もすっかり落ちてキレイな夕焼けが見え始めた頃。
沙也加ママはふとツヨシくんの事を思い出しました。
「あら、もうこんな時間…。あの子を迎えに行かなきゃ…。」
「ただいま帰りましたー。
と、沙也加ママがつぶやいていると、玄関のドアを開けて誰か帰ってきました。声の主はコメットさんでした。
「あぁ、コメットさん。お帰りなさい。」
「コメットさんおかえりー。」
「ネネちゃん、ただいま。…あれ、ツヨシくんは?」
「それがね、ツヨシったら『カブトムシ採りに行くんだ』って、遠くの山まで行っちゃったのよ。
それで今迎えに行く所だったんだけど……。」
「…あ、それならわたしが行きます。沙也加ママは家で待っててください。」
「ちょ、ちょっとコメットさん!ここから車で20分も掛かるのよ?あなたじゃ……。」
「大丈夫ですって。沙也加ママはお夕飯の支度をしててください。」
「いや、だから。時間が……。」
「大丈夫ですよ。…多分。じゃ、行って来まーす!」
「あ…、ちょっと!(…………たぶん?)」
コメットさんは家を出ると、見つからないようにウッドデッキに出て、ティンクルスターの中からラバボーを呼び出しました。
「…というわけなの。ラバボー、お願い。」
「ふぅ…そういう事だと思ったボ。よーし!ジャンプー!」
ラバボーは自分の体積の何十倍もの空気を取り込んでふくらみ、
コメットさんを乗せてびゅーんと飛び上がりました。
「…ひめさまー!ツヨシくんは見えたかボー?」
「ううん、まだ。…もうちょっと遠くの方に行ってみて。」
「りょーかい。…あっ!ひめさま、ひめさま!あそこ、あそこ!」
「…あっ!いたいたー!」
「ん……?あっ、コメットさんだー!」
「いやー、やっと見つけたよぉ。みんな心配してるよ?さ、早くお家に帰ろ。さ、ラバボーに乗って。」
「うん。わぁーい、ラバボーぶにゅぶにゅ〜。」
「うげっ、へぎゅ…つ、ツヨシくん、あんまり変なところを触らないでほしいボ…。痛い、痛い!」
「こらこらツヨシくん。あんまりラバボーをいじめないで、ね? さ、藤吉家に向かってしゅっぱーつ!」
「りょーかいだボ!じゃーんぷー!」
ラバボーはツヨシくんとコメットさんを乗せると、空高く飛び上がります。
飛び上がった際の風圧や衝撃が落ち着いてきたころ、ツヨシくんは少しもじもじしながら言いました。
「…ありがとコメットさん。このままどうしようかって考えてたもん。」
「ふふっ。どういたしまして。…ツヨシくん、そのカゴは…何?」
「これ?ツヨシくんカブトムシ捕まえてきたの。で、それをここに入れたんだよ。すごいでしょ?おっきいでしょ?ほら…。」
「あっ、ダメだよツヨシくん。ここで虫かご開けちゃあ。カブトムシさん逃げちゃうよ?」
「そっか…。あ、家が見えてきたー。」
「ラバボー、その辺に降りて。」
「りょーかいだボー。」
ラバボーは藤吉家のウッドデッキの辺りにゆっくりと着地しました。その後コメットさんとツヨシくんは、家の人に見つからないように
こっそりと裏に回り、玄関を開けました。
「ただいまー。」
「ただいまー。」
「あっ…やっと帰って来た。まったく、こんな遅い時間まで何やってるの!?早く帰ってきなさいってあれほど言ったのに…。」
「うっ…でもさ、でもさ!その代わり、捕まえてきたよ、ほら!おっきなカブトムシ!」
ツヨシくんは虫かごからカブトムシをつかんで取り出し、三人に見せました。カブトムシは脚をきしきしと動かしています。
「まぁ…大きなカブトムシね。こんな大きなやつ、そうそうこの辺にはいないわよ。」
「そうでしょ!?そうでしょ!?ツヨシくん頑張ったもん!こんなおっきなカブトムシ捕ったんだもーん!」
ツヨシくんはこれ見よがしに捕ってきたカブトムシを自慢します。しかし、ネネちゃんの反応はそっけないもので。
「うー…足たくさんで気持ち悪い。…ネネちゃん、これと同じの台所で見た!」
「えっ!?う…うそだーっ!カブトムシは山の中にしかいないのー!台所になんていないのー!」
「いたもん!ネネちゃん見たもん!これよりちっちゃかったし、つのもなかったけど…確かに見たもん!」
「…ネネ。朝も言ったけど、それはこのカブトムシじゃないわよ。……ゴキブリホイホイ買ってきた方がいいのかしら…。
でもまぁ、とりあえず…ツヨシ、ご飯食べちゃいなさい。もうみんな食べちゃってるわよ?」
「はーい。」
沙也加ママに言われ、ツヨシくんは今まで手に持っていたカブトムシを虫かごに戻し、手を洗ってテーブルにつきました。
そして、沙也加ママが料理を持ってくるまで、点いていたテレビを見ます。丁度この時間は夜のニュースの時間でした。
「…ニュースだ。おもしろくなーい。ママー、チャンネル変えていいー?」
「はいはい。」
「えっと、何見ようかな〜………ん?」
ツヨシくんは手元にあったリモコンをとって、チャンネルを変えようとします。しかし、
そのチャンネルでやっていた、あるニュースが目に止まったため、ツヨシくんはチャンネルを変えるのをやめました。
ニュースの内容は以下の通りです。
---……次のニュースです。神奈川県鎌倉市で発生した連続児童殺害事件で、
逮捕された…容疑者は具体的な供述を始め、神奈川県警では裏付捜査を進めています。それでは神奈川県警鎌倉警察署から、
中継でお伝えします。
---はい現場からお伝えします。この事件で殺害されたのは、…ちゃん…歳、…くん…歳、…………渡瀬 千雨ちゃん 12歳。
いずれも、山の中で、ナイフで刺し、埋めていた…とのことです。さらに詳しく話を聞いたところ、
最後の被害者の女の子については、”犯行を見られ、通報されそうになったから殺した”…との事です。
そのニュースを見たツヨシくんの頭の中にを、今日体験した「ある場面」がよぎりました。
----…あたし、もう行けないから………。
----……そっか。捕まったんだ…犯人。よっ、よかったね!これでもう誰も危ない目に遭うこともないんだね!
----これで…誰も…だれ…も………。
----…あれ?おかしいな…?なんであたし…泣いてるんだろ?おっかしいな〜…あは、あははは…は。
「…………。」
ツヨシくんは、何を思ったか、突然立ち上がり、虫かごを持ってウッドデッキの方へと走っていってしまいました。
「あっ、ちょっとツヨシ!どこいくの!」
ツヨシくんはウッドデッキの上に立ち、空に広がる星空を眺めました。今日は良く晴れていて、星がたくさん見えます。
「……ちうおねえちゃん………お星さまになってたんだね…。だから、ツヨシくんにカブトムシ…くれたんだ。
でも、もういいよ。ツヨシくんカブトムシいらない。……ほら、出て。ちうおねえちゃんの家がどこにあるかは知らないけど…。
ちゃんと…ちうおねえちゃんの家まで飛んでいくんだぞ。そらーっ!」
ツヨシくんは虫かごを開けて、中にいたカブトムシを逃がしました。カブトムシはもそもそと虫かごから這い出ると、
鎧のような外殻から茶色い羽を開き、夜の空を悠々と飛び去ってゆきました。
「…ツヨシくん?」
「……コメットさん。」
カブトムシを逃がした辺りで、ツヨシくんは後ろにコメットさんがいることに気がつきました。
「どうしたの?いきなりここに出てきて…。それに…カブトムシ……。」
「あ、…な、なんでもない、なんでもないっ!カブトムシ…虫かごの中じゃせまくてかわいそうだったから…逃がしたの。」
「へぇ〜…ツヨシくん、やさしいんだね。…そうだ、早くご飯食べちゃいなよ。沙也加ママさん呼んでるよ?」
「う、うん。…ね、ねぇコメットさん。」
「…?」
「手…つないでも…いい?」
「…何で?うん、いいよ。…はい。」
ツヨシくんはコメットさんの手を握りました。コメットさんの暖かな感触が手から体中に染み渡る気がしました。
「コメットさん…あったかい。」
「……?変なツヨシくん。さ、行こっか。」
「うん!」
二人は手を繋いだまま、リビングへと戻ってゆきました。
あとがき。
久方振りに書いた僕の中ではかなりマトモな部類に入る小説。なんかいつもの馬鹿&ネタ丸出しなものと違う雰囲気のものが作りたくて、
とりあえず「夏」を題材にして一本書いてみましたが…どうなんでしょうかねぇこれは。
そもそもカブトムシ捕りなんてやったことないんですが(苦笑)。
それっぽい雰囲気が出したかったので、情景描写などを無駄に多く取り入れたりしてみたのですが…長い。
似たような雰囲気の”悪魔ビト〜”の倍近くの文章量になってしまいました。ここ最近書けば書くほど長くなる傾向にあるようで…。
ま、長くなったことを除けば、この小説は自分の中ではお気に入りです。あまりセリフにつまることもありませんでしたので。
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